中日新監督に就任。選手兼任監督となる谷繁元信が乗り越えるべき課題とは?

多くの困難を伴う新たな挑戦

 12球団で最年少指揮官となる谷繁元信新監督(42)は力強く、言葉を発した。

「昨日(の会見で)、WBCの監督になった小久保(裕紀)が『若いですけど…』と言ってましたけど、若いからどうなのっていう風に僕は思っています。プロに入って25年やってきて現実2900試合、僕も出てますから。日本プロ野球の中でも僕の上にいらっしゃるのは野村(克也)さんしかいないんで。別に年齢は関係ない」

 10月10日、中日の新監督就任が決まった谷繁は名古屋市内で選手兼任監督としての所信表明を行った。捕手ということもあり、やはり目指すチームは「守りの野球」。「0点で抑えれば負けることはない」と堅守をベースにチームを再建していく方針だ。

 球団初のゼネラルマネージャーに就任した落合博満氏(59)も、中日監督を務めた当時、1点を重視する野球を唱えて4度のリーグ優勝を成し遂げており、谷繁新監督の言葉は強い中日の復活を予感させた。

 ただ、新たな挑戦には多くの困難を伴うことも事実だ。

 兼任監督、しかも捕手という点でどうしても思い出されるのは2006年から2年間、プレイングマネジャーとしてヤクルトを率いた古田敦也氏である。当時の3位と6位という成績だけを見れば、決して成功したとは言い難い。古田氏自身、右肩を痛めたことも影響し、2年間で46試合の出場に止まっている。プレーに専念できる選手とは違い、監督業は多忙を極める仕事であり、練習や治療時間の確保はそう簡単ではない。

 また、当時のヤクルトは采配の面で攻撃を重視。打者の出場機会を増やそうと2ポジション制を提唱し、打撃力のある飯原誉士(30)を外野手から三塁、遊撃にコンバートした。しかし、リーグ最多の18失策、打率も136試合で2割4分6厘と低調な出来に終わり、その飯原同様、宮出隆自外野手(36)もコンバートされたが拙守を露呈。結果的に、チームの成績も振るわなかった。

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