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【畏敬の念を込めて。2013年に亡くなった戦士たち】相馬勝也さんが球界に遺したもの

あの野太い声を忘れない。2軍グラウンドで、若手を叱咤激励しながら指導する姿は西武ナインに今でも焼きついている。西武・相馬勝也ファームディレクター補佐兼育成担当が今年6月2日に50歳の若さで亡くなった。

西武ライオンズ

裏方として西武ライオンズを支え続けた

 あの野太い声を忘れない。2軍グラウンドで、若手を叱咤激励しながら指導する姿は西武ナインに今でも焼きついている。西武・相馬勝也ファームディレクター補佐兼育成担当が今年6月2日に50歳の若さで亡くなった。

 若手からの信頼が厚かった相馬さんはブルペン捕手として裏方に徹し、松坂大輔らのボールを受け続けてきた。現役時代は正捕手に伊東勤(現ロッテ監督)がいて、控え捕手の時期が長かった。だが、心強い2番手捕手の存在がいたからこそ、レギュラー捕手もあれだけ映えたのだろう。

 「当て馬の相馬」とも言われ、相手投手が左投げか右投げか判然としない時に起用される偵察メンバーとして、よく使われた。選手としては、名前が使われるだけでその日の仕事が終わってしまう仕事はある意味で屈辱的なことだったかもしれない。だが、それでも相馬さんはチームのためにと必死に戦っていた。

 相馬さんが急逝した当日の試合では西武ナインが喪章をつけて戦い、巨人に勝利した。選手たちは「どこかで見てくれている」と信じて戦った。現役時代から面倒をみてもらった渡辺久信監督も悲しみをこらえて、勝利を届けた。

 今では優勝チームの胴上げで当たり前のようになっている、監督の胴上げをせずに、センター方向に向かって、万歳をしてジャンプするパフォーマンスを最初に考え、実践したのも相馬さんだった。当時、工藤公康投手と、輪の中に入っても目立たない、もっと喜びを表現できる場所はないかと探したのが、この形だった。

 胴上げを見るたびに、相馬さんの笑顔を思い出す人もいるだろう。その野球人生が西武に、そしてプロ野球に遺したものは、大きく根付いくはずだ。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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