準優勝の三重はなぜ強かったのか 選手たちを変えた5つのポイント

本当の意味で全員野球を貫いた三重高校

【4】学校の協力

 中村監督は「ここの学風は人間形成への力の注ぎ方が強い」と話している。監督自身も「生徒たちがきちんと授業を受けているのか、見にいくよ。ちゃんとやっていると安心する」と話すなど、野球をやる前に一人の生徒であることをきちんと認識をさせる。また、部員の授業を受け持つ教員らが、野球部の練習を見に来てくれてるという。監督は「学校の先生たちが野球部を理解してくれている。他の先生も僕と同じ視線で指導してくれている」とバックアップの大きさを実感している。

 三重は進学校でほぼ大学に進学する。野球をやっているだけでは通用しない。背番号15をつけた三宅穂昂は生徒会長を務めるなど、文武両道のナインが集まっていた。

【5】監督交代と全員野球

 これまでポイントを4点挙げたが、決勝まで勝ち上がった最も大きな要因は上記の4項目すべてに登場した中村監督の就任だった。

 宮崎の日章学園で指揮をした2002年に甲子園に出場したが、初戦の2回戦で静岡の興誠(現浜松学院)に22安打を放ちながら、8-9で敗れた。中村監督は投手陣が与えた6四死球、3失策から失点を重ねたのが、今でも忘れられない。この試合がチーム作りの基盤になっている。選球眼を良くし、四球も得点に絡める。守りのリズムから試合を作ることなどを徹底させたのだった。

 中村監督は「僕は前監督(沖田展男監督)が作ってくれたものに肉付けをしただけ。前監督ともコミュニケーションを今でもとっているので、彼のおかけでもあります」と、もともとセンバツに出られる力のあったチームを育てた沖田監督への感謝も忘れなかった。

 選手の中にも「前の沖田監督にもありがとうございました、と言いたいです」と話していた部員もいる。沖田元監督は監督ではなくなったがチームに残っており、甲子園期間中、三重高校で新チームの指導などを行い、すでに次のチーム作りに動き始めていた。

 優勝こそ惜しくも逃したが、本当の意味での全員野球が三重高校を準優勝まで導いたのだった。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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