【小島啓民の目】縦カーブ習得に要したのはわずか2日 大瀬良の成長の裏にある「学ぶ姿勢」

超スローカーブからスタート、驚異の習得スピード

 それでも私は「折角、全日本チームに帯同したのだから何か違うスタイルを覚えて帰るというのも悪いことではないんじゃないか」と自分の考えを伝えました。すると、縦のカーブの練習に早速取り組みました。

 最初は60キロくらいの超スローカーブで感覚を掴ませ、徐々にスピードを上げていくという手法で取り組みましたが、いとも簡単に自分のものにしていく姿はこちらにとっても驚きでした。本人も、習得できなくても切羽詰っているわけではない、という感じで気楽に取り組んでいたのでしょう。

 全日本に招集される選手には、やってきた実績やプライドがあり、会って間もないような指導者の話に簡単に耳を傾けないのが通常です。指導者がどんな人間か理解する時間もありませんから。指導者としても短期間ということもあり、「良い部分を引き出すこと」で精一杯というのが本音です。

 大瀬良選手は、おそらく折角の機会であるので、何か一つでも学んで帰ると決め、逆にこちら(指導者)を上手く利用したのでしょう。そうでなかったら、あれほど簡単に、真剣に縦のカーブを習得できなかったと思います。

 今までの投球スタイルに加え、縦のカーブが増えたことで緩急も使えるようになり、大会においても韓国のプロ打者を手玉に取っていました。本人も手ごたえを掴んでいたように見えます。

 翌年、縁があり、私は小久保裕紀監督率いる侍ジャパンのコーチを務めることになり、大瀬良選手と台湾遠征で再会しました。「カーブで三振を取れるようになった。カーブを習得し、他の球種が生きるようになりました」と言ってもらいました。台湾強化試合の時にも縦のカーブを使っていましたね。

 指導者は、「自身の経験」や「多くのプレーヤーから学んだ知識」を多く持ち合わせています。この知識を利用しない手はないでしょう。いかに指導者の知識を「引き出すか」「利用するか」は選手の情熱次第です。「(練習を)やらされ感があります」と嘆いているより、「指導者を上手く利用する」というふうに自分の考え方を変えてしまう方が早いと思います。選手には、自分で判断する権利が与えられています。指導者の言いなりにはなる必要もありません。

 大瀬良選手が、その当時、ほとんど投げていなかった「カーブ」を習得するために要した時間は、全日本合宿のたった2日です。勿論、自分のものにできたのは、それ以降の彼の練習の成果であることは言うまでもないでしょう。「プロに進んだ際にはカーブが絶対生きてくる」と話した記憶が蘇ります。現在、広島カープの中心として活躍している大瀬良投手の姿を見て、「やっぱり素直さは大事なんだ」と改めて思いますし、指導者は積極的に利用すべきだと強く感じています。

【了】

小島啓民●文 text by Hirotami Kojima

小島啓民 プロフィール

1964年3月3日生まれ。長崎県出身。長崎県立諫早高で三塁手として甲子園に出場。早大に進学し、社会人野球の名門・三菱重工長崎でプレー。1991年、都市対抗野球では4番打者として準優勝に貢献し、久慈賞受賞、社会人野球ベストナインに。1992年バルセロナ五輪に出場し、銅メダルを獲得。1995年~2000年まで三菱重工長崎で監督。1999年の都市対抗野球では準優勝。日本代表チームのコーチも歴任。2000年から1年間、JOC在外研修員としてサンディエゴパドレス1Aコーチとして、コーチングを学ぶ。2010年広州アジア大会では監督で銅メダル、2013年東アジア大会では金メダル。侍ジャパンの台湾遠征時もバルセロナ五輪でチームメートだった小久保監督をヘッドコーチとして支えた。2014年韓国で開催されたアジア大会でも2大会連続で銅メダル。プロ・アマ混成の第1回21Uワールドカップでも侍ジャパンのヘッドコーチで準優勝。公式ブログ「BASEBALL PLUS(http://baseballplus.blogspot.jp/)」も野球関係者の間では人気となっている。

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY