来季残留のマシソンも名選手に? 巨人で5年以上プレーした助っ人は

スタルヒン、“ウォーリー”与那嶺ら名選手がズラリ

 巨人のスコット・マシソン投手が来季も残留することになった。マシソンは2012年に巨人入りし、勝利の方程式の一角として奮闘。来季が来日5年目となる。

 リーグV、日本一が宿命づけられる巨人で、5年以上プレーした助っ人には名選手が多い。

▼ビクトル・スタルヒン投手(9年)

 1916年5月1日、ロシア生まれ。旭川中(旭川東高)3年で中退し、34年に大日本東京野球倶楽部(巨人)に参加。37年に28勝を挙げエースに。39、40年にMVP。39年には日本記録の42勝。戦後はパシフィック、太陽、金星、大映、高橋、トンボでプレーし、55年に日本プロ野球初の300勝を達成した。通算成績は303勝176敗、防御率2.09。57年1月12日に40歳で自動車事故死した。60年に野球殿堂入り。戦時中は須田博に改名していた。

▼与那嶺要外野手(10年)

 1925年6月24日、米国ハワイ州生まれ。51年に戦後初の外国人選手として巨人に入団。元フットボール仕込みの激しい走塁で日本球界を席巻し、10年間で8度のリーグ制覇、4度の日本一に貢献。首位打者3度、MVP1度、52年から7年連続ベストナイン。60年オフに中日に移籍し、62年に現役引退した。

 72年から77年までは中日監督を務め、74年には巨人のV10を阻止。その後、巨人、南海(現ソフトバンク)、西武、日本ハムのコーチを歴任し、94年に野球殿堂入りした。本名ウォレス・カナメ・ヨナミネ、通称ウォーリー。2011年、前立腺がんのため米ハワイ州の自宅で死去した。

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