就職視野の高校球児、“激動の1年” 無名の左腕が引き寄せたプロへの切符

監督やコーチも後押し、無名の高校球児がプロへ

「建築科、インテリア科、土木科、機械科、電気科、電子科、情報技術科とあるのですが、技術系が良かったので、建築科が向いているかなと思って。でも、実際にやってみたらそんなにうまくいかなかったですね。自分、不器用でした。寸法とか測るんですが、難しくて……。細かいのが苦手なんです、何ミリとか。鉋はできますが、鉋の歯の合わせ方が難しいんです」

 建築科で勉強しながら野球に打ち込む、どこにでもいそうな一人の高校球児。それが3年春、プロのスカウトの存在を知って、気持ちが揺れ始めた。

「監督さんは快く勧めてくれたけど、親が厳しい世界なので、どちらかといえばやめたほうがいいという感じでした。可能性はわずかですが、プロに行ける人は限られている。大学に行って評価が変わることもあるので、行ける時に行ったほうがいいと監督さんやコーチが親に言ってくれたので、それが後押しになりました」

 ドラフト当時は練習しながら指名を待った。しかし、待てど暮らせど呼ばれない。「これは呼ばれないんじゃないかと思っていた時に呼ばれたのでチームメートとバカ騒ぎみたいな感じで喜びました」。西武からの9位での指名。高校野球最後の夏は青森大会3回戦で弘前学院聖愛に3対4で惜敗しており、全国的には無名の高校球児の夢の扉が開いた瞬間だった。

 1月4日、若獅子寮に入寮し、プロとしての生活が始まった。「体が小さいので、1年目は体作りをして、どんなメニューにも耐えられる体と精神力を養いたいと思っています。(先輩選手の)車を見てもそうなんですけど、すごくいい車に乗っていて、雰囲気もプロ野球選手だなというオーラが出ています。早く自分も近づけたらなと思います」と夢を膨らませる。

 新人合同自主トレでは早々に離脱したが、キャンプは順調。ただひたすらに甲子園を目指していた1年前は想像すらしていなかったプロの世界に飛び込んだ藤田は、数年後の飛躍を目指し、力を蓄えていく。

【了】

高橋昌江●文 text by Masae Takahashi

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