川崎宗則、「想像超える挑戦」の裏側 恩師が語る素顔と生き様

イチローも「もう誰にも止めることは出来ない」、イ・ボミとの共通点も

 日本でトッププレーヤーになって裸一貫でメジャーに挑戦する際には心配したものだ。私がホークスを退団した翌年の2010年。セントルイスで行われたマリナーズとカージナルスの交流戦を見に行った時にイチローと話す機会があり、「ムネはメジャーでどうだろうか?」と尋ねると彼はこう答えてくれた。

「日本人選手はアメリカに来るにあたって、これまでの経験の中で断念したり、当然のように計算します。ムネはやれるかどうかではなく、こっちでやりたい。その一心です。そうなればもう誰にも止めることは出来ないでしょう」と。

 成功するか失敗するか――。その次元ではなかったのだ。たとえ失敗してもまた一からやり直して必ず自分の夢を掴み取る。今はそれがたまたま野球というだけである。この思いを持ち続けて突き進む。ある意味、無謀と思えるこの挑戦には想像を超えるものがある。華々しい過去、地位も名声も、大金までも清算してのものだったのだ。

 当初のサポーターは奥様と愛息、そしてスカイプで話す御両親。ところが今は逢う人全てを味方にしてしまう勢いだ。

 余談になるが女子プロゴルファーのイ・ボミ選手のインタビューは全て日本語である。人間性も素晴らしく日本の文化、習慣を最も学びたいと思い実行した選手で、その謙虚さこそが彼女のプレーを支え、人気の要因ではないだろうか。

 やはり、ムネとシルエットが重なる。人が何を望んでいるのか、本当の自分は何を望んでいるか、そこから答えを出し、自分の信じた道を邁進する。これが彼の生き方であり生き様なのだ。「ゴールはなし、全てのラインがスタート」「逆境でこそ真価が問われる」が2人の合言葉だった。

 もう心配はすまい。倒れそうになった時は頭を打たないように手を差し伸べる準備だけをして後方から見守るのみ。また、私の挑戦がモチべーションだと彼は言う。21歳下の教え子に負けないように現場復帰、また心理カウンセラーを目指し、ボランティア活動にも積極的に取り組んで野球界、スポーツ界に少しでも貢献出来ればと思っている。ムネをはじめホークスの多くの選手、巨人、オリックスでも沢山の選手とご縁を頂いた。彼らに恩返ししたい一念である。

 荒波に飛び込んだムネの変化、成長は加速を増すばかりだ。昨今の社会はグローバル化が進んでいる。若者に何を求めているか。それは消極的な安定志向ではなく、今まで以上に、積極的かつ旺盛なチャレンジ精神、向上心、バイタリティーを持つ人を求めているという。

 ムネはアメリカでは人が羨むほどの成績は残していないかもしれない。しかし、彼の生き方、精神こそが今の若い人たちに参考になるものと信じたいし、変化の速度が鈍る年齢の私には絶好の鏡なのだ。今後もあくなき向上心、探求心、チャレンジ精神を体現し、子どもたちに夢と希望を与え続けてくれると確信している。

◇森脇浩司(もりわき・ひろし)
 
1960年8月6日、兵庫・西脇市出身。55歳。現役時代は近鉄、広島、南海でプレー。ダイエー、ソフトバンクでコーチや2軍監督を歴任し、06年には胃がんの手術を受けた王監督の代行を務めた。11年に巨人の2軍内野守備走塁コーチ。12年からオリックスでチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、同年9月に岡田監督の休養に伴い代行監督として指揮し、翌年に監督就任。監督通算成績は341試合202勝193敗11分け。勝率5割5分1厘。178センチ、78キロ。右投右打。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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