4か国9球団を渡り歩いた男 元甲子園V左腕が今も駆られる思いとは

かつての栄光を微塵も感じさせない左腕、「人との出会いには恵まれた」

 いくら野球が好きで続けたくても、誰にも必要とされなければ諦めなければならない。だが、正田の場合、窮地に立たされた時に「ありがたいことに声が掛かって、道が開けてきたんですよね」という。2008年オフ、阪神から戦力外となり、12球団合同トライアウトを受けても獲得希望球団はなかった。そんな時、声を掛けてくれたのが、台湾の興農ブルズだ。今では百戦錬磨の風格さえ漂わせる正田だが、「最初に台湾に行った時は、環境の違いに正直ショックも受けました」と笑う。だが、この新たな一歩が大きかった。

「そこ(台湾)に行ったら、アメリカでやりたいって思いが出てきた。ドミニカに行ったけど次が決まらず、もう1年台湾でプレーしたら、今度は高津(臣吾・現ヤクルト投手コーチ)さんと出会った。ここからまた広がった感じ。アメリカに行った後で新潟(BCリーグ新潟アルビレックス)に入ったのも、高津さんが声を掛けて下さったから。

 愛媛に来たのも、実は加藤さん(博人投手コーチ)のおかげ。(2012~13年に)ヤクルトで当時2軍投手コーチだった加藤さんと一緒だった。ヤクルトを戦力外になってトライアウトを受けても声が掛からなかった時、愛媛でのコーチ就任が決まっていた加藤さんが『一緒に行くか?』って声を掛けてくれたんですよ。結局、台湾に行ったんですけど、またクビになった後で電話を掛けたら『じゃあ来い』って」

 捨てる神あれば拾う神あり。「ここまで途切れることなくやらせてもらっている。1人じゃ、ここまで来れなかったと思います。運であったり、人との出会いには恵まれたなっていうのはありますね」。かつての栄光は微塵も感じさせず、どこへ行っても野球に没頭し続ける正田の姿勢が、人を惹きつけるのかもしれない。

 今まで都合3回、NPB12球団合同トライアウトを受けた。3度目のトライアウトを受験したのは昨年。NPB復帰への思いが強いのかと思いきや、「いや、そういうつもりじゃないんですよ」と言う。

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