「負けた気がしない」の思い残した聖地へ 恩師、友人が語る岸孝之の素顔

進学決意も土壇場で「やっぱり、野球、やらないとダメですか」

 名取北高の監督だった田野さんによれば、岸には最終的に10数校の大学から誘いがあったという。父・孝一さんは将来を見据え、野球に没頭するタイプの大学より、学業もしっかりできる大学を希望。田野さんは勧誘のあった全ての大学の条件などを説明し、最後は家族で進学先を話しあった。数日後、父・孝一さんから田野さんのもとに「学院大にします」と電話が入った。学費免除など条件のある大学もあったが、就職のことなども考え、特待のなかった東北学院大で学業と野球を両立する道を選んだ。

 ところが、いよいよ卒業という時だった。旅立ちの日を翌日に控えた卒業式の予行練習の日、田野さんは岸から「先生、話があります。やっぱり、野球、やらないとダメですか」と言われた。岸は東北学院大の一次キャンプに参加し、大学の練習を体験。菅井さんは「股割りがきつかったんだと思う」と振り返る。

「泣いたんだもん、みんな。ピッチャー陣がやる股割りがきつかったの。岸と同じく高校生でキャンプに参加していた選手は『辞めます』ってなったしね。(その選手は)結局は来て、野手になったんだけど。股割りをした高校生はみんなボロボロ泣いていて、大丈夫か、こいつらって心配になったね」

 高校とはレベルの違う野球漬けの毎日。その中にあった股関節の柔軟性を高めるためのトレーニング。いろんな要素が相まって辛かったのだろう。同級生の佐藤さんはキャンプを終えた岸を東北学院大まで迎えに行った時を思い出し、「そういえば、『しんどい』って散々、聞かされましたね」と想起した。

 田野さんは「学院大は君を何で求めているんだ」と聞いたという。すると岸は「野球です」と答えた。「そうだよね。野球をやらない君は学院大でどうなのかな」とさらに聞くと、「いらないですよね」と岸。そんなやり取りは1時間30分、続いた。田野さんは数日後、岸の同級生から岸が東北学院大の二次キャンプに行ったことを聞かされ、「続けるんだな」と胸をなでおろした。

 岸は大学1年の秋季リーグ戦でデビューすると、2年の春季リーグ戦では、リーグの盟主・東北福祉大を4安打完封した。3戦目で10安打を浴びて敗れ、勝ち点は挙げられなかったのだが、この約1か月後に大学選手権で優勝するチームに土をつけた。2学年上で、今季限りで現役を引退した星孝典とバッテリーを組んでの金星だった。菅井さんは「岸本人も言っていたが、そこから目覚めた」と話す。

 だからといって、すぐに結果が付いてくるわけではない。3年時はパッとせず、「細いし、体力がない。ダメだな」という声もあった。ただ、岸本人にやる気はあった。菅井さんは「細くても強い選手になろう」と話した。そして、菅井さん自身、岸を化けさせると心に誓った。

 岸は冬場のランニングに手を抜くことがなかった。投手陣との切磋琢磨もあり、力を蓄えていった。迎えた4年春。仙台の地で岸は伝説を作る。

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