清原は6球団、野茂は8球団競合…記憶に残るパ・リーグのドラフト会議

西武・菊池雄星【写真:編集部】
西武・菊池雄星【写真:編集部】

清原氏は「常勝西武」の4番に、野茂氏は「トルネード投法」でファン魅了

 日本シリーズを直前に控えた10月26日、「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が開催される。今年は注目のスラッガー・早稲田実業高の清宮幸太郎内野手を1巡目で何球団が指名するかが一つの見どころとなるだろう。複数球団で指名が競合した場合、交渉権獲得のために行われるのはくじ引きによる抽選だ。過去にはドラフトの注目選手の交渉権をパ・リーグ球団がそのくじ引きで獲得し、その後、パ・リーグを代表する選手となった例も数多い。

 古くは1985年、この年の夏の甲子園大会本塁打記録(当時)を樹立したPL学園高・清原和博氏には6球団が指名。抽選の結果、西武の根本陸夫管理部長がサッと当たりくじを右手で掲げた。巨人入りを熱望していた清原氏は西武に入団し、1年目から31本塁打を放つ活躍を見せ「常勝西武」の4番打者に君臨した。

 1989年には前年に行われたソウル五輪代表のエース・新日鉄堺の野茂英雄氏に注目が集まった。後にプロ野球で活躍する名選手を多く輩出したこの年のドラフト会議で、野茂氏を過去最多(当時)の8球団が指名。最後にくじを引いた近鉄・仰木彬監督が当たりくじを引き当て、「近鉄・野茂英雄」が誕生する。

 野茂氏は独特の「トルネード投法」で1年目から多くのファンを魅了し、清原氏とのライバル対決は「平成の名勝負」と称されてパ・リーグを大いに盛り上げた。一方で1990年には亜細亜大・小池秀郎氏が8球団の競合でロッテ、1995年にはPL学園高・福留孝介外野手が7球団の競合で近鉄がくじを引き当てたが、入団を拒否されるケースもあった。

菊池雄星は6球団、松井裕樹には5球団が競合

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