「楽しくて仕方ない」―阪神・藤川球児が見つけた新たな野球との向き合い方

インタビューに応じた阪神・藤川球児【写真:佐藤直子】
インタビューに応じた阪神・藤川球児【写真:佐藤直子】

阪神ブルペンの精神的支柱が激白、野球の楽しさ、そして自身の役割

 藤川球児が阪神に復帰して、2シーズン目が終わった。2017年、チームは救援陣の活躍もあり、リーグ2位に躍進。クライマックスシリーズ(CS)ではファーストステージでDeNAに敗れ、悔しさの残る幕切れを味わった。だが同時に、37歳ベテラン右腕は、これまでとは違う野球との向き合い方に充実感も感じている。

「今は投げることが楽しくて仕方ないね。前向きなことしか考えなくなったから。野球をするために日常を割くんじゃなくて、日常生活の中に野球がある感じ」

 藤川の意識を変えたのは、メジャーもマイナーも含めたアメリカでの経験だった。

 1998年ドラフト1位で阪神に入団後、2005年からリリーフとして1軍に定着。ジェフ・ウィリアムス、久保田智之と共に「JFK」と呼ばれる勝利の方程式を築き上げた。2007年には当時NPBタイ記録となる46セーブをマークし、不動の守護神に。“火の玉ストレート”を武器に次々と打者を斬る一方で、子供の頃に大好きで始めたはずの野球は、次第にやらされるもの、やらなければならない“義務”に変化していった。

 そんな中、長年の目標を果たすため、2012年オフに海外フリーエージェント(FA)権を行使してカブスと契約。渡米1年目の2013年にいきなり右肘靱帯修復手術(トミー・ジョン手術)を受け、2015年途中に日本へ帰国するまでの約2年半、メジャーで登板したのは29試合に留まった。成績だけを見れば藤川の米移籍は成功とは言えないかもしれない。だが、数字には表れない発見と経験を持ち帰ってきた。

「向こうでは人間関係で悩んだところもあった。日本人は、特に男は弱い面を前に出さないでしょ。出さないことが美徳だって育てられるから、それが大きな間違いだっていうことに、なかなか気がつけなかったし、立場や年齢が上の人に対して主義主張しちゃいけないって思っていた。こっちから『何で分からないの?』って言いたい気持ちが相手に伝わらない。だから、その考え方はやめて『自分が野球をやりたいからやろう』って考え方を変えたら楽になりましたね」

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