大阪桐蔭で強力打線を形成し2度の甲子園 謝敷正吾さんが社会人で味わった挫折と現在地

大阪桐蔭で2度甲子園に出場した謝敷正吾さん【写真:編集部】
大阪桐蔭で2度甲子園に出場した謝敷正吾さん【写真:編集部】

謝敷正吾さんは大阪桐蔭、明大、BC石川を経て2014年に「オープンハウス」入社

 中日の平田良介外野手や日本ハムの中田翔内野手と大阪桐蔭で打線の中核を担った謝敷正吾(しゃしき・しょうご)さんは現在、野球界にも縁のある不動産会社「オープンハウス」に勤務している。野球人生を終え、社会人一歩目で直面したのは大きな壁。プライドを捨てて挫折を乗り越え、新たな目標に向けて歩み始めている。

 全国屈指の強豪校・大阪桐蔭で2度の甲子園出場。1学年先輩の中日・平田外野手や1学年下の日本ハム・中田内野手と打線を引っ張り、聖地で本塁打も放った。ただ、ユニホームを脱ぐと、野球の実績だけで勝負できるほど社会は甘くなかった。

「売れないというのは、こういうことなのか。毎日、生きた心地がしなかった」

 高校野球ファンの多くが、謝敷さんの名前を覚えているだろう。甲子園を沸かせた楽天・田中将大投手や日本ハム・斎藤佑樹投手と同じ1988年生まれ。大阪桐蔭から明治大学に進み、その後2年間BCリーグの石川ミリオンスターズでプレーした。24歳で現役引退。2014年8月、不動産会社「オープンハウス」に入社した。

 社会人1年目。謝敷さんが配属された部署は営業だった。「甲子園や神宮球場の華やかな舞台から、いち社会人となった。不動産の仕事はしていなくてもできると思っていたし、数字を上げられるという気持ちが強かった」。販売する商品は「人生で一番高い買い物」といわれる住宅。当然、簡単には売れなかった。

 野球では、うまい人のプレーを真似て技術を吸収できた。だが、営業では同じようにいかない。営業職は、野球のように成績が数字ではっきりと表れる。入社3日で最初の契約を取る新入社員。1週間で2軒の住宅を販売する社員。なかなか“1本目”が出ない謝敷さんの焦りは、どんどん膨らんでいった。

「野球をやっていた頃のプライドがあって、できない自分を受け入れられなかった。考え方を変えるのは、すんなりいかなかった」

 謝敷さんがようやく初めての契約を取った時、入社から半年が経っていた。転機となったのは、入社から1年余りが過ぎた頃。それまでの本店から支店勤務となり、考え方を大きく変えたことだった。まずは、根本的な姿勢。野球の技術は見て盗んでいた謝敷さんだったが、成績の良い営業マンに話を聞くようにした。

営業スタイルを見直して成績上昇、現在は社長室で勤務

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