戦力外通告の1年前に“引退決断” 元鷹ドラ1を決心させたモイネロに喫した三振

元ソフトバンク・江川智晃氏【写真:編集部】
元ソフトバンク・江川智晃氏【写真:編集部】

故郷の伊勢市で豚肉の販売を手がけている江川智晃氏

 2004年にソフトバンクからドラフト1位指名を受け、2019年に現役を引退した江川智晃氏。引退後は球団のスコアラーを務めたが、1年で退職。現在は故郷の三重・伊勢市で「まるとも荒木田商店」を営み、母方の家業である「一志ピックファーム」が育てるブランド豚「一志SPポーク」の販売を手がけている。球界から離れ、第2の人生を歩んでいる江川氏が現役時代や引退を決断するに至った意外なキッカケなどを明かした。

 2004年のドラフト会議で当時のダイエーから1位指名を受けた江川氏。ドラフト後にソフトバンクへと経営権が譲渡されたため、ダイエー最後の1位指名選手として、宇治山田商高から入団した。和製大砲として期待され、2009年、2010年にはウエスタン・リーグで14本塁打を記録。なかなか1軍では結果が出なかったものの、2013年には1軍でキャリア最多の12本塁打を放った。ただ、怪我や若手の台頭もあり、レギュラー定着とはならず。晩年は右の代打としての起用が多かった。

 レギュラーになれなかった選手としては異例の長さとも言える15年の現役生活を振り返り「現役の時はつらいなと思っていたんですけど、今となってみれば、めちゃくちゃいい経験をさせてもらったな、と思います。野球の技術は大して成長できなかったんですけど、いろんな人とお付き合いさせてもらう中で、人としてすごく成長できたし、楽しかったなと思います」と、かけがえのない時間、財産になっている。

 現役時代は苦しみの連続だった。2軍で打てていても、1軍ではなかなか結果が出ない。“2軍の帝王”とも揶揄された。「自分ができない歯がゆさとか、思い通りにいかないっていうことはすごく多かったですし、常に戦力外と背中合わせでそういうのに追われていました」。いつクビになるか分からない危機感と恐怖心を、常に抱えながら、日々を過ごしていた。

プロ4年目の2008年オフには戦力外を覚悟「10年ぐらいはずっと隣り合わせ」

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