西武ドラ2ルーキー右腕が過ごしたプロ1年目 内海の姿勢に感銘「本当にすべてが勉強」

西武・渡邉勇太朗【写真:篠崎有理枝】
西武・渡邉勇太朗【写真:篠崎有理枝】

高校時代は練習がきつく野球を辞める決意も「野球をやっているほうが楽しかった」

 2年連続パ・リーグ制覇を成し遂げた西武。クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージではソフトバンクに敗退し、2年連続で日本シリーズ進出を逃す屈辱を味わったが、次世代を担う若い力はファームで自らを磨き続けている。19年に入団したルーキーを紹介する第6回目は、ドラフト2位の渡邉勇太朗投手だ。

 埼玉県羽生市出身。地元ということもあり、幼いころから西武ファンだ。野球をやっていた兄のチームメートが浦和学院で甲子園出場を果たし、その姿に憧れ浦和学院に進学。1年の秋からベンチ入りを果たすが、厳しい練習についていくことができず、1年の冬に野球を辞めることを決意した。

「もともと、プロになりたいとか考えていなかった。浦和学院が好きで、浦和学院で野球をやりたいと思って進学したんですけど、練習が想像以上にきつかった。調子もあんまりよくなくて『何のためにやっているのかな』と考えてしまいました。それで、もう辞めようと思いました」

 父親は「お前は野球で食べていける素質がある」と反対した。しかし、その反対を押し切り実家の造園業を継ぐことを決め、仕事を手伝い始めた。しかし、思った以上に重労働で、すぐに野球部に戻りたいと思うようになった。

「ゴミ集めなど力仕事が多くて、きつかったです。1か月くらいチームを離れましたが、野球をやっているほうが楽しかった。それからちょっとずつ練習にも顔を出し、頭を下げて寮に戻してもらいました。戻りづらい気持ちもあったけど、先輩たちも暖かく迎えてくれました」

 野球部に戻ってからは練習にも真剣に取り組み、身体作りに力を入れた。3年春の関東大会からは主戦で投げるようになり、プロからも注目を集める存在に成長。夏には甲子園出場を果たし、根尾昂内野手(中日)、藤原恭大外野手(ロッテ)を擁する大阪桐蔭に敗れたものの、エースとしてチームをベスト8進出に導いた。

「見えない力ってあるんだなと思いました。甲子園は調子が上がってきて、今まで出せなかった自分の力を知ったという感じです。『こんなにできちゃうんだ』と、自分でも驚きました」

自ら観察して考える思考「すぐ人に聞く人が多いですが、そうすると自分で考える力が養われない」

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