プロ入り後に人生初の捕手に挑戦―― 元日ハムドラ1野手が苦しんだ“重圧”

現在は「株式会社 日伸梱包」の社員として働く尾崎匡哉さん【写真:橋本健吾】
現在は「株式会社 日伸梱包」の社員として働く尾崎匡哉さん【写真:橋本健吾】

2003年のドラフトで日本ハムから1位指名を受けた尾崎匡哉さん

 野球少年なら誰もが一度は夢見るプロ野球の世界。大学、社会人、そして高校生らは将来に向けた大きな決断を下してプロの門を叩く。将来のスター候補たちがプロでのスタートを切るが5年後、10年後、ここから一体何人の選手たちがNPBに生き残っているのか。2003年に日本ハムからドラフト1位指名を受けた尾崎匡哉さんのプロ野球人生は苦難の連続だった。

 報徳学園時代は1年生から遊撃のレギュラーを奪い、2002年の選抜高校野球では「1番・遊撃」としてエース・大谷智久(現ロッテ)と共にチームを牽引して全国制覇に導いた。大型内野手としてプロからも注目を浴びると同年のドラフトでは日本ハムから1位指名。球団からは金子誠の後継者として大きな期待を込められていたが、現実は厳しかった。

「自分の力不足ですね。入った1、2年はボールボーイをしてましたし、周囲からは“ドラ1”の目で見られるプレッシャーもあったかもしれない。そんな状況でも毎年、凄い選手がどんどん入ってくる。特に当時の日本ハムはそうだったと思います」

 プロ入り後、2軍では高校時代からの“定位置”だった遊撃のポジションで経験を積んだが、陽仲寿(05年ドラフト1位=現巨人)が入団すると三塁へコンバート。そして中田翔(07年ドラフト1位)が入ってくると二塁へ、西川遥輝(10年ドラフト2位)が入ってくると一塁へ…。内野のポジションで居場所がなくなると、これまで野球人生で一度も経験したことのない「捕手」へのコンバートを打診された。

プロ12年間で1軍出場は25試合、打率.174、0本塁打、1打点

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