世界の盗塁王やMr.タイガース、最年長左腕まで… 下位指名から成り上がった名選手

元阪神の掛布雅之氏(左)と元中日の山本昌氏【写真:荒川祐史】
元阪神の掛布雅之氏(左)と元中日の山本昌氏【写真:荒川祐史】

ドラフト5位で中日に入団した山本昌は50歳まで現役を続けた

 毎年、100人近いルーキーたちが飛び込んでくるプロ野球選手たち。ドラフト1位選手でさえ、一線級で活躍することは難しく、厳しい生存競争が待ち受ける世界である。ただ、プロ入りしてしまえば、1位指名だろうが、下位指名であろうと横一線。結果を出したもの勝ちとなる。

 これまでの長いプロ野球の歴史の中でも、ドラフトの下位指名から球界を代表する選手にまで成長を遂げる“NPBドリーム”を掴み取った選手たちもいる。そこで、12球団で5位以下の下位指名ながら、球団を代表する選手まで成長を遂げた選手に注目してみよう。

()の順位は左が指名順位、右がその年指名された選手数

【巨人】
・小林繁(1971年6位/8位)
・松本匡史(1976年5位/6位)
・山口鉄也(2005年育成1位)

 古く言えば1971年のドラフト6位で加入した小林がいる。5年目の1976年から2年連続で18勝をマークしたが、1979年の開幕前に“江川事件”で阪神へとトレードされた。「青い稲妻」と称された松本匡は1976年の5位。2度の盗塁王に輝くスピードスター。山口は育成選手から這い上がり、球界屈指のリリーバーに。現役では2015年7位の中川皓太が中継ぎとして侍ジャパンにも選ばれている。

【中日】
・山本昌広(1983年5位/6位)
・井端弘和(1997年5位/8位)
・大島洋平(2009年5位/8位)

 中日で下位指名から名選手となった代表格といえば、山本昌だろう。1983年の5位で入団すると、選手生活は32年間に及んだ。50歳まで現役を続け、通算219勝をマークした。“アライバコンビ”として球界屈指の遊撃手だった井端も5位指名。現在、中日の中心選手である大島も5位で入団している。この他にも2013年5位の祖父江大輔や2015年5位の阿部寿樹らも下位指名から奮闘している。

【阪神】
・掛布雅之(1973年6位/7位)
・新庄剛志(1989年5位/6位)

“ミスタータイガース”と称された掛布も1973年の6位指名。習志野高から入団すると、3度の本塁打王に輝くなど阪神のレジェンドの1人となった。ファンに愛された新庄も下位の5位。メッツやジャイアンツなどメジャーでもプレーした。現役でも原口文仁が2009年6位、青柳晃洋が2015年5位指名だった。

【DeNA】
・屋敷要(1977年6位/6位)
・三浦大輔(1991年6位/8位)

 前身の大洋時代に“スーパーカートリオ”の1人として活躍した屋敷が1977年の最下位指名。“ハマの番長”としてエースとなった三浦大輔も1991年の6位指名だった。この他にも相川亮二や金城龍彦も下位指名。現役でいえば、宮崎敏郎は2012年の6位で、今季の4番を任される佐野恵太は2016年の9位指名だった。

【広島】
・江藤智(1988年5位/6位)
・新井貴浩(1998年6位/8位)

 広島では球界を代表したスラッガーが下位指名から育った。1988年の5位だった江藤は2度の本塁打王を含む、13年連続2桁本塁打を記録。新井は1998年6位で入団し、2005年に本塁打王、阪神移籍後の2011年には打点王を獲得した。2人のほか、5位以下ではないが、前田智徳や金本知憲は4位指名。現役では中崎翔太が2010年の6位、西川龍馬が2015年の5位。

ソフトバンクで監督を務める工藤監督はドラフト6位での入団だった

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