「掛布さんの時だけトップギア」―篠塚和典氏が明かす「怪物・江川」の記憶

長きに渡り巨人の主力として活躍した篠塚和典氏【写真:荒川祐史】
長きに渡り巨人の主力として活躍した篠塚和典氏【写真:荒川祐史】

天才打者が明かす名投手の記憶、「力の入れ方が違った」宿命のライバル掛布との対決

 読売巨人軍史上屈指の好打者で通算1696安打をマークし、守備でも名二塁手として鳴らした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。Full-Countでは、天才打者が現役当時を振り返る連載「篠塚和典、あの時」を掲載中。今回は、巨人のエースで“昭和の怪物”の異名を取った江川卓氏の記憶を語る後編だ。

 江川氏は1979年から87年まで9年間、巨人一筋でプレー。まさに“太く短い”野球人生だった。2度の最多勝を含め、9年中8年で2桁勝利を挙げ、通算135勝。年平均15勝は驚異的だ。1年目の79年だけは9勝(10敗)で10勝ラインに届かなかったが、この年は、入団を巡る“空白の1日”騒動の責任を取る形で、公式戦開幕から約2か月間も出場を自粛したハンデがあった。右肩の故障を理由に現役引退を表明した87年でさえ、13勝5敗、防御率3.51の好成績を挙げている。

 76年から94年まで19年間も巨人でプレーした篠塚氏は、江川氏の現役時代の投球の大部分を、二塁の定位置から見ていた。特に印象的だったのは、江川氏の極端な“ギアチェンジ”である。

「立ち上がりは様子見というか、守っている側からすると、手を抜いているように見えました。ただ、抑え気味に投げても、簡単には打たれませんでした」と笑う。そして走者を得点圏に背負うと、ガラリと豹変したという。「走者なしとか走者一塁の時とは、体の張りが違うと感じました。江川さんはスコアリングポジションに走者が行くと、背中に張りが出る。守っていて『これは強い球を放りそうだ』と感じましたよ」

 絶妙のペース配分、メリハリで“勝てる投手”として君臨した江川氏。篠塚氏は「当時は、『完投するのがエースの役目』と思われていた時代ですから、打者9人全員に全力でいくわけにはいかない。時には手を抜き、クリーンアップに対しては全力で、という組み立てだったと思います」と説明する。

もし江川氏と対戦していたら…「そりゃ、真っ直ぐしか狙いません」

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