イチロー、パンチ、ディンゴ、王天上… 個性豊かなプロ野球「登録名」の歴史

1994年登録名を本名「鈴木一朗」から「イチロー」に変更し活躍した、元マリナーズ・イチロー【写真:Getty Images】
1994年登録名を本名「鈴木一朗」から「イチロー」に変更し活躍した、元マリナーズ・イチロー【写真:Getty Images】

スタルヒンは1940年に「須田博」と日本名を名乗るように

 プロ野球選手は毎年、球団を通じて選手名を連盟に登録する。多くは戸籍の名前と同じだが、様々な理由で様々な名前を登録することがある。

 戦前は、台湾や韓国は日本領だったので、その地域の出身者の中には現地の名前ではなく、日本名を名乗る選手もいた。1944年に打率.369で首位打者を取った南海の岡村俊昭は台湾出身で、本名は「葉天送」だったがプロ野球では岡村俊昭で通した。南海ホークスではコーチ、スカウトとして長く活躍した。

 ヴィクトル・スタルヒンは、ロシアの貴族階級の出身で、日本に亡命した。当初はスタルヒンと名乗っていたが、日中戦争が始まるとカタカナ名前の選手は遠征先で警察の取り調べを受けることが多くなったために、1940年に「須田博」と日本名を名乗るようになった。

 昭和の時代は「養子縁組」が多かったので、戸籍の名字が変わったのにともなって登録名を変えることも多かった。史上最多の1773勝を挙げた大監督、鶴岡一人は結婚して夫人の姓を継いだため、1946年から1958年まで「山本一人」だった。夫人が病死して鶴岡姓に戻っている。

 こうした事情とは関係なく、姓名判断や名前の画数を気にして登録名を変える例もしばしばみられる。2000本安打、200勝を記録した大選手でも、前述のスタルヒン以外に石井忠徳→琢朗、山本浩司→浩二、山内和弘→一弘、有藤道世→通世、加藤秀司→英司、別所昭→毅彦、村山実→昌史、皆川睦雄→睦男、山本昌広→山本昌、中尾輝三→碩志と改名した選手がいる。

セ・リーグ初代本塁打王の小鶴誠は一時期「飯塚誠」を名乗った

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