元巨人・鈴木尚広がリスタートに選んだ場所は? 「農業」と「野球」共通の魅力

巨人で活躍した鈴木尚広氏【写真:荒川祐史】
巨人で活躍した鈴木尚広氏【写真:荒川祐史】

9月12日に公式YouTube「Swiftrunner」を開設し、元気な姿を披露

 元巨人で“走塁のスペシャリスト”として活躍した鈴木尚広氏。昨年は巨人の1軍外野走塁コーチとしてリーグVに貢献したが、一身上の都合で退団した。その後、鈴木氏はどのような生活を送り、自己を見つめ直していたのか。「人生の中で一番、長い時間だった」と考えた末、1人でもファンがいる限り、恩返ししたいとリスタートを決意。農業を軸に食育を学ぶこと、自身のコンテンツでトレーニングや技術をオンラインで発信していく。その真意を聞いた。

 巨人一筋20年。07-09のリーグ3連覇は主力として活躍。08年はゴールデングラブ賞を獲得した。2012~14年のリーグ3連覇や選手晩年は代走のスペシャリストとして、原巨人に不可欠な存在だった。引退後も野球教室やイベント出演、講演会など精力的に活動していた。しかし、今年はここまで一人で過ごす時間が増えていた。退団してからの10か月のことを振り返ってもらった。

「自分を見つめ直す時間を含め、これから自分に何ができるかを考えていました。どうやったら、スポーツや野球に恩返し、貢献できるかなと考える日々でした。どちらかと言うと、活発的に外で動いて休むことを良しとしない人間だったので(この期間は)人生の中で一番、長い時間を過ごしてきた感じがあリました」

 今まであったものが、失われていく寂しさ、この先どうなっていくのかという不安もあったという。やりたいと思ったことがあっても1人ではできない。だが、鈴木氏のことを気にかけてくれる人が多く存在し「一緒にやってくれる、やりたいというメンバーが少しずつ集まってきてくれた」ため、描いたビジョンが形になり始めた。改めて、支えてくれる人へ感謝した。

 インタビューに応じた鈴木氏の顔は日に浴びて、こんがりとよく焼けていた。「日焼けサロンに行っていた訳ではありませんよ」と屈託のない笑顔を見せる。その理由は「やりたいことの一つ」である農業が関係していた。

 元々、健康志向で現役時代から口に含むものには強いこだわりを持っていた。シーズン中のオフを利用して、水を汲みに岐阜の山奥まで車で行ったこともあるほど。今年の春先、農協からの依頼で早い時は朝6時頃から、精を出し、畑仕事を行っていた。

「最初はお手伝いしてくださいという感じで、ビニールハウスから作りました。トマトやきゅうり、とうもろこしを育てて、採取する畑仕事から、販売まで。野菜というのは、こちらの意思関係なく、すくすく育つ。雑草を取り除いたり、結構、地道な作業も多いんです。2000坪くらいある敷地なので、一つ一つを段階的にクリアをして作業をしていくと、あっという間に時間が過ぎます」

 農業、そして野菜の奥深さを実感する日々だった。自分が愛情を持って育てたものを、お客様に提供する。自身もその愛着のある野菜を食して、健康状態を維持してきた。次第に農業から学んだ野菜の知識を教育や野球指導などの活動に繋げたいと思った。それが「食育」だった。

「スポーツ選手と食に対しての意識は世界的に高いし、日本もそういう傾向になりつつあります。自然の恵みから生まれたものは健康になるし、食育というのを、中学、高校生の時から取り入れているスポーツ、野球チームもあります。食べるもので人は変わってくる。スポーツや野球の指導と、農業というものは切り離せないかなと思います」

 ファーム暮らしだった20代前半は、1年間に3度、骨折するなど、体が弱かった鈴木氏が走塁のスペシャリストになれたのはトレーニングやマインドの意識改革だけなく、食の改善もあった。今後は食をさらに学び、野球、人材育成に力になりたいと考えている。

「トレーニングだけでも野球は上手くなりません。栄養や睡眠にも目を向けてもらいたいです。農業体験を一緒にやってみたり、学べる機会などがあればいいなと考えて、準備しています。一つ一つの段階をクリアするということは、野球と一緒。どうやって取り組んでいくのか、そういった行程と真剣に向き合っていかないといい結果は得られません。一見、バラバラに見えますが、自分がやりたいものと必ず繋がると思っています。農業の先のビジョンを持って、皆さんに情報を提供したいと思います」

農業と並行にしてやってきたことはトレーニングの指導とオンラインの施策

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