父は元中日ドラ1位右腕 社会人からプロ入り目指す“世代No.1遊撃手”の今

法大からトヨタ自動車へ進む佐藤勇基【写真:荒川祐史】
法大からトヨタ自動車へ進む佐藤勇基【写真:荒川祐史】

中京大中京から法大、今春からトヨタ自動車に進む佐藤勇基内野手

 今から約4年前の2016年秋。侍ジャパン高校日本代表は「第11回 BFA U18アジア選手権」(台湾)で優勝を飾った。当時のメンバーを見返すと今井達也(作新学院・西武)、早川隆久投手(木更津総合・早大・楽天)といったその後、プロになった選手が名を連ねた。全18人中、12人もがNPB入り。その中で“世代No.1ショート”の呼び声が高かった佐藤勇基内野手は高校、大学と名門を進み、今春から社会人野球へ舞台を移すことを決めた。夢はまだ諦めてはいない。

 守備でのハンドリングの巧さには高校時代から定評があった。中京大中京2年時は甲子園に出場。翌年は高校ジャパンに選出。U-18では遊撃で6試合中、5試合にスタメン出場。内野の要としてチームを支えた。同学年にはプロ入りした遊撃手もいたが、日本代表では佐藤の場所だった。大会ベストナインにも選ばれた。

 周囲からは『絶対にプロになれる選手』と言われるほどの逸材も「まだ僕には力が足りないんです」と自己評価は厳しい。プロの世界はそう甘いものではない――。その感覚が体に染み付いているから、さらなるレベルアップを目指すことができる。

 小さい頃から父・秀樹さんの背中を追っていた。1992年ドラフト会議で中日から1位指名を受けた右腕で、現在は中日のスコアラーを務めている。

「僕は小学校の頃、ピッチャーだったのに父に股割りや腰を低くしてボールを捕球する練習をよくさせられていました。基本の形から、段階を踏んで(守備の)応用まで……。本格的にショートとなったのは高校からですが(父との練習が)基本となっていました。もしかしたら、父は僕がピッチャーでやっていくのは無理かな、と思っていたのかもしれませんね」

 野球を始めた小学生低学年の頃、父はまだ現役だった。映像に残る父の投球には目が奪われた。正確なコントロールに鋭い球のキレ……自分が打席に立ったことを想像すると「絶対に打てません」「制球がいいので、手が出ないと思います」と笑う。

「小さい頃は外で遊びたかったですけど、父に『遊びたい』といい出しにくい環境ではありました(笑)。父からよく『仲間がミスしても引きずらず、余裕を持って仲間に声をかけなさい』と言われたことを覚えています。父は年間12人しかいないドラフト1位ですし、野球をやめてからもプロ野球の仕事に就いているのはすごいなと思っています」

尊敬する父が根付かせてくれた遊撃、意識が変わった夏の甲子園で2エラー

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