篠塚和典氏が明かす「怪物・江川」の記憶 「山倉さんは“ノーサイン”と言っていた」
天才打者が元祖「怪物」について語る「江川さんがピッチャーでNO1だと思ってます」
読売巨人軍史上屈指の好打者と言えば、通算1696安打をマークした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。1975年のドラフト1位で銚子商から入団し、圧倒的な打撃技術の高さ、そして、華麗な守備で現役時代に多くの名シーンを生み出した。
Full-Countでは、天才打者が現役時代を振り返る連載「篠塚和典、あの時」を掲載中。今回は、篠塚氏が語る「江川卓の記憶」前編。剛速球と縦に大きく割れるカーブを武器に活躍した江川氏は、わずか9年間という現役生活で通算135勝をマーク。高校時代から数々の伝説を作った元祖「怪物」について、篠塚氏は「ピッチャーでNO1だと思っている」と話す。
巨人ではチームメートとして江川氏と共闘した篠塚氏。だが、高校時代には2歳年上の「怪物」と対戦したことがある。その時の印象はあまりにも鮮烈だったという。
「対戦したのは高校の時。一番速い時期だったのではないかと。本人も言ってました。高校の時が一番速かったと。私は江川さんがピッチャーでNO1だと思ってますからね。2試合しか対戦してないけど、こんなに速いピッチャーいるんだって思いましたよ」
プロに入ってからは、多くの名投手と対戦を重ねた。もちろん、高校生だったときに対戦した投手と、その後にプロで対戦した投手とを単純比較することはできない。ただ、バックで守っていても、江川氏の凄さに変わりはなかったという。
「プロになれば、自分が速い球でもそういうふうには見えなくなってきているから、高校の時に江川さんを見た感覚とはちょっと違います。でも、やっぱりいざという時の速さ、ランナーがスコアリングポジションに行ったときは凄かったですね。ランナーがいないときは大体7、8分(の力)で投げている感じ。体の使い方を見ていると、それほど大きく使わずドローン、ドローンと投げるんだけど、セットに入って足を上げてからの速さは全然違いました。ランナーがセカンドとかサードにいると、ギアが上がる。それはすごく感じました」