篠塚和典氏が明かす─西本VS江川の“ライバル伝説”「われわれ野手も感じていた」

長きに渡り巨人の主力として活躍した篠塚和典氏【写真:荒川祐史】
長きに渡り巨人の主力として活躍した篠塚和典氏【写真:荒川祐史】

ダブルプレーを取るための攻め「守っていて楽しい投手」

 読売巨人軍史上屈指の好打者で通算1696安打を放ち、守備でも名二塁手として鳴らした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。Full-Countでは、篠塚氏が現役時代にともに戦った名投手たちを振り返る「篠塚和典 背中を見てきた投手たち」を連載中。今回は、巨人の2枚看板として同僚の“怪物”江川卓氏に強烈なライバル心を抱き続けた、西本聖氏について語る。

 西本氏といえば、切れ味鋭いシュートが武器で、特に右打者の内角に食い込むそれは威力十分。1983年の日本シリーズ第2戦に先発し、西武打線を4安打完封、27アウトのうち21を内野ゴロで取ったのは今も語り草だ。この試合でも二塁を守っていた篠塚氏は、「当時はセカンドのポジションからでわかりづらかったけれど、いまテレビで昔の映像を見ると、『うわっ、よく曲がってるなあ』と驚きますよ。特に(西武の主砲の)田淵幸一さんが嫌がっていた。『これは、右打者は嫌がるわ』と思います」と嘆息する。

 その後西本氏は1989年にトレードで中日に移籍し、巨人戦で篠塚氏とも対戦している。「それまで同じチームでやっていた選手だからやりづらい、というのもあったけれど、西本さんは僕のような左打者に対しても、意外にインコースにシュートを投げてきたんですよ。膝の上に自打球を当てたことを覚えています。僕はあまり自打球を当てたことがなかったんですけどね」と篠塚氏は苦笑する。抜群のバットコントロールを誇った天才打者が珍しく自打球を当てたほど、西本氏のシュートは鋭かった。しかも篠塚氏は「巨人時代はもっと曲がっていたと思う」と言うのだから、おそるべしだ。

「ランナー一塁の場合、守っている内野手はダブルプレーを取りたいという意識が強いのですが、西本さんはダブルプレーを取るための攻め(配球)をして、そのためのボールを投げていると感じました。こっちの思い通り内野ゴロを打たせてくれるケースが多かったです。コントロールが良く、このコースに行けば打球はこっちにくる、と計算しながら楽しく守れました」と振り返る。

交互に4回ずつ務めた開幕投手、ライバル関係は「チームにすごく良い結果をもたらした」

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