「改めて阿波野秀幸という男はすごい」 与田剛氏が語る大学時代から続く信頼

2021年まで中日の監督を務めた与田剛氏【写真:小林靖】
2021年まで中日の監督を務めた与田剛氏【写真:小林靖】

中日の監督に就任すると迷わず招聘「絶対に必要な人だった」

 昨季を限りに中日の投手コーチから退いた阿波野秀幸氏が以前、「僕は与田(剛)が辞める時は一緒に辞めようと決めていました」と話していたことがある。2019年に中日の監督に就任し、3シーズンをともに戦った与田剛氏は亜細亜大時代の1つ後輩で親交が深い。阿波野氏の在任中、チーム防御率は飛躍的に改善され、その手腕を高く評価されたが、一蓮托生の想いは変わらなかった。

 先輩の想いを知った当時について、与田氏は「正直、複雑でした」と振り返る。

「私が監督に就任した時、全コーチに対して『自分の契約は3年だけど、それが終わった時、球団に残ってほしいと言われたら残ってほしい』と伝えていました。与田に呼ばれたから一緒に辞める、という気持ちは嬉しいですが、選手のために残ってほしかった。自分は身を引くけれど、せっかく良くなってきたものを理解して、引き継いでくれる人がいればと思ったんです」

 与田氏が監督を引き受けた時、コーチを務めた時以上に「キチンと引き継がなければいけない」と感じたという。前任者から引き継ぎ、後任者へと引き継ぐ。「ビジネスの世界では当たり前のことだと思うので、僕もそういう意識を大切にしてきました」と言葉を続ける。

「こんないいことがありました、こんな問題がありました、ということは、前任者から後任者に伝えるべきこと。監督やコーチが変わっても、チームのルールや考え方は揺るいではいけないものです。もちろん、いい方向に修正することは大事ですが。そういうことを阿波野さんは特に理解していただける方だったので、僕はすごく助けていただきました」

 阿波野氏との付き合いは40年近くにもなる。強豪・亜細亜大硬式野球部の先輩後輩で、学生寮では同部屋だった。当時から顔を合わせれば野球談義に花が咲き、「野球に対する考えはもちろん、まずは社会人として尊敬している」と話す。阿波野氏は1987年に近鉄入りすると、同年に15勝を挙げて新人王に輝くなど一時代を築いた。2000年を限りに現役を退いた後は、プロ・アマ問わず指導者として幅広く活躍。与田氏は「僕にとって、チームにとって絶対に必要な人だった」と投手コーチとして招いた。

任期中に投手陣の成績が上がるも「たまたま」

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