戦力外の福田秀平が激白「引退考えた」 割れた肩甲骨、心無い中傷…壮絶だった4年間

ロッテから戦力外通告を受けた福田秀平【写真:荒川祐史】
ロッテから戦力外通告を受けた福田秀平【写真:荒川祐史】

「期待していただいた球団の方々、ファンの皆さんにはすごく申し訳ない」

 ロッテの福田秀平外野手が11日、来季の契約を結ばない旨を球団から通告された。2019年にFA権を行使してソフトバンクから移籍したものの、怪我の影響もあって4年間でわずか89試合出場止まり。戦力外通告を受けた福田がFull-Countの単独インタビューに応じ、ロッテ球団とロッテファンへのお詫びと感謝、現役続行への思いなどを激白した。

 4年間在籍したロッテとの別れ。FA権を行使し、三顧の礼で迎え入れてくれたものの、その期待には応えられなかった。球団から来季の契約を結ばない旨を通告された福田は開口一番、こう口にした。

「人生の勝負をかけてマリーンズに来て、契約いただいた4年間で戦力になれなかった。本当に期待していただいた球団の方々、ファンの皆さんにはすごく申し訳ないなっていう気持ちが一番にあります。ロッテに来て、たくさんの方、先輩や後輩と出会いました。その出会いは自分の宝、財産だと思っています。呼んでいただいた井口(資仁)さん、鳥越(裕介)さんには、情けないというか、自分の不甲斐なさで、残念な思いをさせてしまった。悔しい気持ちが一番強いです」

 真っ先に語ったのは詫びの言葉だった。移籍1年目の2020年。右肩甲骨の骨折で開幕直後に離脱したこともあり、62試合の出場に終わった。2年目もこの時の怪我が尾を引き、わずか4試合出場。3年目の2022年は20試合に出場したものの、8月下旬に外野フェンスに激突して左肩関節を脱臼して離脱に。今季はわずか3試合の出場と、4年間で89試合の出場にとどまった。結果を残せず、期待に応えられなかったことが、とにかく申し訳なかった。

悪夢の始まりは2020年開幕前に負った右肩甲骨骨折の大怪我

 怪我に泣かされた壮絶な4年間だった。新型コロナウイルスの感染拡大で開幕が遅れた2020年。6月16日に行われた巨人との練習試合で右肩甲骨に死球を受けた。受傷直後の検査では大きな所見はなく、痛みを抱えたまま6月19日に行われた古巣ソフトバンクとの開幕戦に出場。ただ、あまりの激痛に耐えかね、翌20日に再び検査を受けたところ骨折が判明。肩甲骨が真っ二つに割れていた。

 これが悪夢の始まりだった。移籍初年度ということもあり、焦りもあった。全治3か月の診断だったが、1か月ほどで戦列に復帰。力が入らない状態でも必死にプレーを続けた。完治しないままプレーしていたことで、徐々に痛みが出て、夏場には激痛に変わった。痛み止めを飲みながら試合に出続けたが、シーズンが終わる頃には、身体は限界に達していた。

 オフを経て移籍2年目のシーズンを迎えても、痛みは引かなかった。6月にはシーズン中の復帰を断念してリハビリに専念。そこから約8か月、地道なトレーニングを続けて回復を待ったが、それでも、痛みは消えなかった。動きの強度を上げると再発する繰り返し。3年目になっても万全でプレーできる状況にはなく、後遺症に悩まされ続け、2022年10月に手術に踏み切った。

3年間悩まされ続けた後遺症が癒え…ようやく不安なくプレーできた今季

 3年間、続いたリハビリの日々で肉体も大きく変化した。「身体が全くの別物になりました」。肩甲骨周りの可動域が極端に狭くなり、一時は右手で左肩を触ることもできなくなった。可動域が変われば、当然プレーにも影響が出る。これまでの打撃フォームやスローイングでは満足にプレーできなくなり、スタイルを変えざるを得なかった。痛みと戦い、満足に練習もできない中で、新たなスタイルを模索する日々。全てが狂っていった。

 手術を経て迎えたロッテでの4年目の今季、ようやく光が差し込んだ。3年間悩まされてきた痛みは消え、不安なくプレーできるようになった。リハビリ期間で変わってしまった体に合わせた打撃フォームに手応えを感じ、可動域も元通りとはいかないまでも、徐々に広くなってきた。

 2軍ではチーム3番目の多さとなる91試合に出場。280打席に立って打率.284、5本塁打の成績を残したからこそ、大村三郎2軍監督らファーム首脳陣への感謝は大きい。「今年は2軍でも使われないだろう、厳しいだろうなと思っていました」。今年で34歳。にもかかわらず、若手育成の場であるファームで出場機会を与えてくれた。「結果が出ないときは使われなかったですけど、結果を出し始めるとずっと使ってくれた。勝負させてくれたサブロー監督、2軍のコーチ陣には本当に感謝しています」。

苦闘をサポートしてくれたファンの激励「応援してくれている人が支えでした」

 不安なくプレーできるようになったから、現役続行への思いが芽生えてきた。

「正直、肩が治らなかったら、引退を考えていました。今年始まる前に身内や近い人には『このまま無理だったら引退する』と伝えていました。ただ、今年1年で本当に劇的に良くなった。まだ足は元気で走れますし、肩も元気になった。可動域は昔みたいにはいかないですけど、痛みもなく、バッティング練習で200球、300球と打っても問題なくやれています。今年1年で、この肩でできるプレースタイルを見つけられた」

 もちろんNPBが第一希望ではあるものの、プレーできるのであれば、環境は問わない。外野手としてのイメージが強いが、今季は一塁手としても21試合に出場して幅は広がった。「肩がこれだけ良くなったのなら、やっぱり野球をしたいと思っています」。自身が望んでも、それが簡単に叶う世界ではないことは十分に理解している。それでも「野球がしたい」という思いに嘘はつけなかった。

 この4年間、ファンからの激励と共に、心ない中傷も数多く届いた。「死ね」「福岡に帰れ」「スパイ」……。明るく振る舞う姿の裏で落ち込み、塞ぎ込むこともあった。

「僕を応援してくれている人が少なからずいたのが、僕の支えでした。応援してくれている人たちのために、1軍で活躍できるように頑張らなきゃいけないなっていうのは常に思っていました。戦力外はこの4年間の結果ですし、そこはもう受け止めています。ただ、もう1回、チャレンジできる機会があるなら、したいです」

 ロッテ球団とロッテファンへの申し訳なさは胸から消えることはない。と同時に、支えてくれたファンのためにも、もう一度プレーしたい。福田秀平の願いは、他球団に届くだろうか。

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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