江川卓は「へみたいな投手」 拍子抜けのスタートも…大一番で“大変身”「嘘やろ」

野球評論家の柏原純一氏【写真:山口真司】
野球評論家の柏原純一氏【写真:山口真司】

日本ハムは1981年のパを制覇…柏原純一氏はプレーオフで村田兆治から決勝弾

 大沢啓二監督率いる日本ハムは1981年、19年ぶりのパ・リーグ優勝を成し遂げた。前期は4位だったが、後期に優勝して、プレーオフでロッテを破った。立役者の1人が選手会長であり、主将であり、4番打者でもあった柏原純一内野手(現・野球評論家)だ。全試合に出場して、初の打率3割(.310)をマーク。プレーオフでもMVPに輝くなど大貢献したが、悔しかったのは日本シリーズで巨人に負けたこと。江川卓投手の凄さを思い知ったという。

 その年、前期を4位で終えた後に柏原氏は大沢監督に呼ばれた。「監督室でね、『お前と古屋が打たないと優勝できない』って言われたのは覚えている。あの時、僕も古屋も2割5分くらいしか打ってなかったんでね。ああやって呼ばれたのは初めてだったし、自分がどうにかしなきゃいけないって思いましたね。後期はそれで3割ナンボ打ったんですよ」。前期終了時点で打率.259、5本塁打だったのが、打率.310、16本塁打と巻き返した。

 日本ハムは後期に優勝し、前期優勝のロッテと激突したプレーオフでも柏原氏は大活躍した。川崎球場での第1戦は1-0で勝利。柏原氏が4回にロッテ・村田兆治投手からソロアーチを放ち、その1点を高橋一三投手と江夏豊投手のリレーで守り切った。「村田さんから打ったのははっきり覚えている。その前のフォークボール。ベースの前、ワンバンのヤツに止まらなくてバットを投げて当ててファウル。次のインコースのシュートをホームラン」。

 貴重な一発になったが「村田さんにはどうせ打てないだろうって感覚で打席に立っていましたよ」という。マサカリ投法と言われたダイナミックなフォームから繰り出されるボール。「とにかく速いし、えげつないフォームだし、どこ来るかわからないし、落ち方はすごいし、スタミナはあるし……」。そんな超難敵からプレーオフの大舞台で放った値千金の一発だっただけに、とりわけ印象深いのだろう。

 第2戦は9イニングの試合ではプロ野球最長の5時間17分の激闘で5-5の引き分け。日本ハムは第3戦と第5戦をものにして3勝1敗1分で突破した。柏原氏は第5戦にも先制タイムリーを放つなど、勝利に貢献してプレーオフMVPに選ばれた。だが、巨人と対戦した日本シリーズは2勝4敗で終わった。第6戦は3-6。巨人・江川に完投を許しての負けだったが、その投球に柏原氏は衝撃を受けたそうだ。

日本シリーズ第6戦で江川卓に仰天「まったく手が出なかった」

 柏原氏はこのシリーズの第1戦と第4戦で江川からホームランを放った。「その2試合は“何やこれは。へみたいなピッチャーやな”って思った。真っ直ぐ待ちで、あのカーブにも合っていたんだけど、第6戦はえーって思うくらい球が速かった。球がうなっていた。ドーンときた。嘘やろって。3タコ(3打数無安打1四球)。まったく手がでなかった。これが江川かって思ったね」。日本一がかかった試合になって初めて本気で来たように思えたそうだ。

 その日本シリーズを振り返り、柏原氏は「大沢さんが、シーズンでは使わない作戦を使ったんですよ」とも口にした。2勝2敗で迎えた第5戦、1点を追う2回表だった。この回先頭の4番・柏原氏は、巨人先発の西本聖投手からレフト線へ2塁打を放った。5番・井上弘昭外野手がライト前ヒットで続いて、柏原氏は三塁へ進んで無死一、三塁。「ここでエンドランのサインが出たんです。今だったら、そういう練習もするかもしれないけど、あの当時は一切していなかった」。

 柏原氏は「えっ」と思って三塁ベースコーチの方を見た。すると「行けって感じだった」という。そして6番・古屋はピッチャーゴロ。「僕が三本間に挟まれてアウト。次のバッター(大宮龍男捕手)がヒットで1死満塁になって、その次のバッター(高代延博内野手)がダブルプレーで0点だった。だってそういうサインが今まで出ていなかったからバッターもびっくりするよね。大沢さん、どうしたんだろうって思った。味方を騙してどうするのってね」。

 勝ちたかった。第1戦は6-5でサヨナラ勝ち。第2戦も7回まで1-0で勝っていたが、先発の間柴茂有投手が8回に巨人のロイ・ホワイト外野手に逆転2ランを浴びて負けた。「第3戦は3-2で勝ったけど、第4戦で負けて、それからズルズル」。巨人の先発は第1戦から江川、西本、定岡、江川、西本、江川と3人でまわしていた。「今では考えられないよね」と言って無念の表情を浮かべた。

 このシリーズ、柏原氏は全試合フルイニング出場で19打数8安打2打点2本塁打と奮闘した。だが、勝てなかった。「この時ね、ホテルに帰ってミーティングがあったんだけど、疲れ切ってバスタオルを頭から被っていた。『柏原、何かあるか』と言われて『何もありません』って答えた。それからタクシーで家に帰って1週間寝込みました」。柏原氏が日本シリーズに出たのはこの1回だけ。勝ちたかった。でも江川はすごかった。それが強烈にインプットされた年だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY