「癖がバレるかも」疑心暗鬼が生んだ“特殊技能” 無双に繋がった前代未聞の武器
都裕次郎氏は16勝でV貢献…直球、カーブ、スライダーを同じ握りで投げた
元中日左腕の都裕次郎氏は、プロ6年目の1982年に16勝をマークして大ブレークした。中日優勝にも貢献して、まさに急成長を遂げたが、その原動力のひとつとして「スライダーの切れ味がよくなったと思います。それが飛躍にもつながった」と自己分析した。高校時代は真っ直ぐとカーブだけ。プロ入り後にスライダーとシュートとフォークを覚えたが、実はスライダーに関しては握りにも“秘密”があった。
「スライダーはプロ3年目に覚えました。今だったら、スライダーを覚えるのはなんてことないでしょうけど、自分はそれからですかね、まぁまぁ良くなったのは。フォークは忘れた頃に投げる程度。シュートは5年目くらいに覚えて、ちゃんと投げ出したのが6年目からだったですかね」。都氏は記憶をたどりながら、自身の変化球について話した。球種習得に関しては「だいたいは自分でやりましたね」という。
「フォークはホント落ちなかったし、大したことがなかったんで、牛島(和彦投手、元中日、ロッテ)に投げ方を聞いたりしたんですよ。投げる瞬間にケツをくっと後ろに引くとか、そのコツみたいなのを聞いてやっぱりすごいな、なるほどなって思ったんですけど、実践したらできなかった。頭の中ではわかっていても、人それぞれ、体のつくりとかが違う。まねたからといってできるもんじゃないと思いましたね」。その上で球種に関して、こんなことを明かした。
「自分の場合、真っ直ぐとカーブとスライダーの握りは全部一緒だったんですよ。(握りで)癖がバレるかもしれないと言う人がいたもんですから、じゃあ同じにしたらバレないだろうと思って、それで投げていました。腕のひねり具合いと指先の力の入れ具合いで変えられるんですよ。他の人はそんなことはしないでしょうけど、自分ではそれをテクニックとも思わず、練習しているうちに自然と何かそうなっていましたね」
フォークとシュートはさすがに無理だったが、真っ直ぐ、カーブ、スライダーは現役時代、最後までその“方式”で投げ続けたという。「野球を辞めてからもそれ以外では投げられなくなりましたよ。今、考えたらカーブもスライダーも握りを変えていた方がもっと曲がっていたかもしれませんけどね」と都氏は笑ったが、それでいて変化球の切れ、コントロールともに抜群だったのも事実。投球テンポもよく、3球種に関しては同じ握りでバンバン投げていたわけだ。
「今のピッチャーってカーブとスライダーの握りで癖がバレるというのはあまりないですよ。だいたいバレるのはフォークとかチェンジアップとかですからね。自分の場合もカーブとスライダーの握りをちょっとずらしたところで、たぶんバレなかったんじゃないですかねぇ……。でも、あの頃は疑心暗鬼になっていました。どうかしていましたね」とも話したが、だからといって、それにチャレンジ、実行したことを後悔しているわけではない。
握りの“秘密”については「知っている人もいましたけど、多くの人は知らなかったと思います」と言う。「でも、こうやって投げていましたよって言っても、じゃあそれをやるって人はいないですよ。教えてくれって人もいませんでした」とも付け加えたが、その“都スタイル”が完全に確立されて、結果にもつながったのが16勝をマークしたプロ6年目。同じ握りの3球種をフル回転させて、勝ち星を重ねた。まさにそれは野球人生を支えた武器のひとつだった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)