打ちまくった主砲に謝罪「自分が壊した」 大量リードが一転…忘れられない“悪夢”

元中日・都裕次郎氏【写真:山口真司】
元中日・都裕次郎氏【写真:山口真司】

都裕次郎氏は1984年に開幕から8連勝…フォームを修正して復活

 元中日左腕の都裕次郎氏はプロ8年目の1984年、開幕から無傷の8連勝をマークするなど13勝8敗1セーブと活躍した。「テークバックをコンパクトにしたのがよかったと思います」とフォーム矯正が成功したが、この年でよく覚えているのは、打たれて勝った試合と自ら打った試合と負けた試合。自身の連勝が8で止まった6月3日の新大分球場での広島戦後には、中日の主砲・谷沢健一内野手に謝罪したという。

 6年目の1982年に16勝をマークして中日優勝に貢献した都氏だが、7年目の1983年は43登板で6勝9敗5セーブ、防御率4.57に終わった。4月9日の広島との開幕戦(広島)は4番手で1回無失点。開幕2戦目の4月12日の大洋戦(横浜)は3番手で登板し、1回1/3を2失点で敗戦投手。その後、先発ローテーションに入ったものの、4月は0勝3敗。このつまずきが響いた。「ちょっとフォームを崩していたと思います」。

 そのままシーズンを乗り切ったが、結果は成績ダウン。「秋のキャンプでコーチとフォームを見直しました。自分のビデオを見て、前の年とだいぶ変わって、こんなに変なフォームになっていたんだって思ったし、もう1回作り直そうってやった記憶があります」。それが功を奏した。「テークバックがオーバースイングになっていたので、もうちょっとコンパクトにしました。それから何となく切れ味がよくなった。ピッチングも小気味いい感じになりました」。

 1984年、都氏は1失点完投でシーズン1勝目をマークした4月11日の巨人戦(ナゴヤ球場)から、7安打完封勝利の5月29日の阪神戦(ナゴヤ球場)まで、開幕から無傷の8連勝。フォーム矯正が結果につながった。しかし「その間には負けそうな試合もありましたからね」と言う。5月8日の阪神戦(福井)では山川猛捕手、平田勝男内野手、掛布雅之内野手、ランディ・バース内野手に4発被弾の5回6失点で降板しながら打線の援護で5勝目を挙げた。

「まぁ、そんなのがなければ8連勝はできませんけど、翌日のスポーツ紙に気まずそうにウイニングボールをもらっている写真が出ていたのも覚えていますよ」と苦笑いを浮かべる。さらに印象深いのは7勝目を目指した5月19日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)という。「いきなり自分は1回表に6点を取られたんですよ。これは交代だろうと思ったら続投で、打線もじわじわ点を返していったんです」。

8失点でも付かなかった黒星「ツキもあった」

 都氏の脳裏に焼き付いているのは5回裏の中日の攻撃。この回、2点を返して5-6。1点差に迫ってからのことだ。「確か2死満塁で自分に打席が回ってきたんです。いくらなんでもここは代打だと思うじゃないですか。それが、そのまま行けだったんですよ」。2回以降、点を許さず立ち直っていたとはいえ、山内一弘監督からの指示に当の都氏が一番驚いた。そして、この後には「自分でもすごいなと思った」シーンが待っていた。

「逆転の三塁打を打ったんですよ。2ストライクと追い込まれてから。打ったピッチャーはサッシー(ヤクルト・酒井圭一投手)です。それも覚えています。ホント自分でもウワーでした。でもなんで代打じゃなかったんですかねぇ。あそこで代打を出さなかったら、いつ出すんだって感じでしたけどね」。しかし、都氏は8回に2点を失い、8-8の同点となったところで降板。リリーフが打たれて8-10で中日は敗れたが、都氏は勝ち負け関係なしで連勝は途切れなかった。

「自分が打ったのも含めてツキもあったんでしょうね」。8失点でも負けがつかなかった都氏は、5月24日の広島戦(ナゴヤ球場)では3失点完投で7勝目、5月29日の阪神戦は完封で8勝目と連勝街道を突っ走った。それがついに止まったのは6月3日の広島戦(新大分)だ。「この試合は勝てそうだったのに勝てなかったんですよ」。中日の主砲・谷沢が広島先発の北別府学投手から3打席連続ホームランの大援護。5回を終えて6-2とリードしながらの逆転負けだ。

 都氏が6回に広島打線につかまって一気にひっくり返された。「(ティム・)アイルランドに打たれたんですよねぇ。試合後、帰りのバスの中では、谷沢さんのヒーローの座を奪ってしまったことばかりが頭をよぎりました。ホームランを3発も打ったのに負けたんですからね。勝てる試合を完全に自分が壊したんですから。後で谷沢さんには謝りに行きましたよ。“別に大丈夫だよ”って感じでしたけどね」。

 1984年5月に5勝0敗の好成績を残しながら都氏は月間MVPには輝いていない。「あの頃(の受賞者)は投手、野手を通じて1人だけ。バッターでいい成績の人がいたんじゃなかったですかねぇ」と話したが、その5月のセ月間MVPが打率.387、10本塁打、21打点の谷沢だったのも何かの巡り合わせだったのだろうか。自身の開幕からの連勝がストップしたことよりも、主砲の援護に応えられなかったことをまず気にした都氏。この一件もいまだに忘れられないそうだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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