優勝決定もファンに“謝罪” 「こんなゲームで申し訳ない」…抗議の空振りに「もう振るな」
激烈タイトル争い…勝てば優勝の大一番で田尾安志氏は5打席連続四球
1982年10月18日、中日は8年ぶり3度目のリーグ優勝を成し遂げた。シーズン最終130試合目の大洋(現DeNA)戦(横浜)に8-0で勝って決めた。負ければ巨人優勝という大一番で、エース・小松辰雄投手が2安打完封勝利を飾ったが、この試合で話題になったのが、大洋が長崎啓二外野手に首位打者を取らせるために中日・田尾安志外野手との勝負を避け、5打席連続で四球を与えたことだ。最後の打席では抗議の空振りもした田尾氏が当時を振り返った。
その年の最後のカードが大洋との3連戦だった。田尾氏は1戦目(10月16日)に3打数2安打、2戦目(10月17日)も5打数4安打。打率をトップの長崎の.3510に9毛差の.3501にまでアップさせた。だが「たぶん、次の日は勝負してこないだろうなって自分の中では思ってはいたんです」。それよりも最終戦に勝つか引き分けで優勝、負ければ優勝を逃す大一番。そちらの方で気持ちは高ぶっていた。
最終戦に田尾氏は「1番・右翼」で出場した。長崎をスタメンから外した大洋からは、やはり徹底的に勝負を避けられた。第1打席から、まともな球は1球も来なかった。敵地・横浜スタジアムに詰め掛けた中日ファンはその度にどよめいたが、優勝がかかった大事な試合だ。当たり前だが、まず勝利を優先させないといけない。何ともいえない表情を浮かべながら、田尾氏は一塁へと向かった。
ゲームは中日が2回に4番・谷沢健一内野手のソロアーチで先制した。田尾氏が2打席目で四球で歩いた3回は1死満塁から3番ケン・モッカ内野手の左前への2点タイムリーなどで4点を追加した。投げては先発・小松が大洋打線から凡打の山を築いた。中日は7回にも3点を加えて、8-0と一方的な展開になった。そんな中、8回に田尾氏は5打席目を迎えた。相手は大洋の2年目右腕・山口忠良投手だった。40歳のベテラン・辻恭彦捕手が敬遠するために立ち上がった。1球目、2球目、3球目と大きく外れたボールが続いた。
カウント3-0から敬遠球を2球連続空振り…「三振するつもりでした」
中日ファンの不満は明らかだった。スタンドからは物が投げ込まれるなど、異様なムードにもなった。そして田尾氏はアクションを起こす。スリーボールからの4球目。届くはずもないボールに対してバットを振った。続く5球目も振ってフルカウントにした。中日ファンの大歓声が響き渡った。ベンチから慌てたように黒江透修打撃兼走塁コーチが飛び出してきた。「『これ以上するとファンも興奮する。もう振るな』って言われました」。6球目は見逃して四球となった。
「最後の打席は空振り三振するつもりでした。こんなゲームをお見せして申し訳ないですという気持ちを、何かでファンの人たちに感じてもらいたいと思った。お互い納得して、こんなゲームをやったわけじゃないですよ、納得していない人間もいますよ、というのをね。あのゲームは優勝が中日と巨人のどっちになるかというのと、僕と長崎さんの首位打者争いが大きな見どころだったのに2つともお見せできずに終わってしまったみたいなゲームだったのでね」
勝つと負けるでは大違いの試合で、大洋が負けにつながる覚悟で田尾氏を5打席連続で歩かせたことが許せなかった。「僕は個人タイトルなんて小さいものだと思っていたので、こんな野球をやっていたら、ファンからそっぽを向かれるんじゃないかってね」。長崎を逆転できず、打率2位でシーズン終了となった田尾氏だが、最後の打席は、黒江コーチになだめられなかったら、4球目、5球目の空振りだけではなく、三振して終わっていたわけだ。
「あの頃は『タイトルを取ったら、ずっとそれで生活できるよ』なんて言う人がいたんですよ。みんな名前や実績の割に、安い給料でやっていましたからね。タイトルを取ることが大きなステータスで、将来的にも、それが大きいんだという発想。だから、ああいうことも起きたんでしょうけどね。今はそういうことはないと思います。あれだけ給料をもらっていたらね」。田尾氏は笑いながらそう話したが、あの空振りシーンは語り継がれる伝説となっている。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)