開幕直前に呼び出し「ごめん、できない」 中日コーチが“謝罪”、笘篠誠治へドタバタの大役指令
西武に計25年間所属した笘篠誠治は2008年から中日のコーチに就任した
高い守備力と走塁技術で西武の黄金時代に15年プレーし、そのまま引退後も10年間コーチを務めた笘篠誠治氏は、2008年に中日の外野守備走塁コーチに就任した。当初は一塁コーチャーズボックスに立つ予定だったが、開幕直前に三塁コーチャーズボックスの担当コーチが「サインを出せない」と言い出し、急遽、入れ替わったという。
笘篠氏にとって初めての西武以外での球団となった中日でのキャンプを終え、オープン戦もスタート。いよいよ開幕へ向けてチームも仕上げに入ろうかという3月中旬、ナゴヤドーム(現バンテリンドーム)で楽天との試合前に落合監督から呼ばれた。
「きょうからサードコーチャーをやってくれ。川相(昌弘内野守備走塁コーチ)がサインを出せないと言い出した。お前の方がコーチ歴が長いし、川相を一塁に回す」
基本的にベンチからのサインを、三塁コーチャーズボックスにいる担当コーチが、体のあちこちを触るブロックサインで打者に伝達する。キャンプでその年のサインの出し方、触った場所に応じたプレー内容を決め、キャンプからオープン戦を通じて“精度”を高めていくのが慣例でもある。
「さすがにそれは無理です、と言いました。キャンプの始めに川相がサイン、出し方を決めている。私は西武でサードコーチャーをやっていましたが、自分のやり方でないと体がうまく動かないんです」
しかし、すでに決定事項。コーチ就任2年目で、前年は一塁コーチャーズボックスを担当していた川相からは「トマ、ごめん。できない」と“謝罪”。「『嘘だろ!?』って。そこからは必死に鏡の前で川相のサインの出し方を練習しましたよ。もはやサインを変えるわけにもいかないので」。
落合監督からは「叱られた記憶もないですよ」
ドタバタで迎えた“新天地”での開幕。これまでは、ほぼ挨拶程度でしか交流がなかった落合博満監督のもとでシーズンを過ごした。
「テレビ中継などで見る落合監督はあまり感情を出さない人でしたが、裏ではとても面白い人なんです。冗談は言うし、喜怒哀楽も出すし。分からないことは、はっきり分からないという人でした。僕には『外野はやったことがないから分からない。お前に任せるから好きなようにやってくれ』と言ってくれました。叱られた記憶もないですよ」
この年の中日は打線に課題があり、僅差で勝つような展開が多かった。笘篠氏はいつも緊張しながら戦況を見守っていたという。最後、守護神の岩瀬仁紀が抑えて勝つと、笘篠氏は手汗をユニホームで拭ってから指揮官と握手をした。
「落合監督も手汗でベタベタだったんです。落ち着いて見ているようだけど、この人も内心ヒヤヒヤしながら見守っていたんだな、と感じたのを覚えています」。落合監督の人柄に触れることができた中日移籍だった。
(湯浅大 / Dai Yuasa)