“嫌味”ばかりのコーチにブチキレ 戦意喪失した初芝清…故障離脱に「あー、ラッキー」

元ロッテ・初芝清氏【写真:片倉尚文】
元ロッテ・初芝清氏【写真:片倉尚文】

1997年に開幕スタメンから外れた初芝清氏「説明なく不信感しかなかった」

 ド派手に変身した。強打の内野手で「ミスターロッテ」として愛され、現在は社会人野球「オールフロンティア」の監督を務める初芝清氏は31歳シーズンの1998年、髪を金色に染めて臨んだ。いったい何があったのか。

「1年前の事があるんです」。初芝氏は、元を辿れば1997年シーズン序盤が理由だったと明かした。

 近藤昭仁監督が就任したこの年、初芝氏にとって怒髪天を衝く事態が起きた。4月5日の日本ハムとの開幕戦(東京ドーム)。先発メンバーに名前がない。入団2年目の1990年から継続していた開幕スタメンが途切れた。

「オープン戦で打ってないとかでもない。そこで結果を求められる年齢でもないですし。ずーっと、レギュラーでやっていますからね。それなのに何も言われないで、外されました。もう不信感しかなかったです」

「3番・三塁」に起用された五十嵐章人は、後に全ポジション出場と全打順本塁打を記録する程のユーティリティで左打者。相手エース・西崎幸広は右腕。新監督は奇襲作戦を仕掛けたのか。しかし、初芝氏は主砲で、相手投手の左右、相性などは超越した“チームの顔”なのだ。

打ってもダメ出しばかり「あれしか打てんもんな」…コーチに辟易

「開幕2日前の練習で、五十嵐が外野からサードに来ていたんです。いや、まさかね、と思ったら……。(首脳陣から)説明も何もなかった。それで腹が立ちました」

 五十嵐は開幕戦で2ランを放ち、途中交代。2戦目は先発サードからライトに回った。初芝氏はその試合で代打から登場し、2打数1安打。3戦目の大阪ドームでの近鉄戦では三塁のスタメンに入り、4戦目では中軸で1号アーチをかけてみせた。

 シーズンは始まったばかり。ネガティブな感情を吹き飛ばすホームランのはずだった。ところが、である。「お前、あれしか打てんもんな」。ベンチで祝福を受ける中、あるコーチが信じられない言葉を発したという。

「ブチ切れました。その試合の後も好打しても『あー、あれしか打てんよね』。そればっかり言うんですよ。そこからは、もう嫌々でやってて。本当に申し訳ないけれど、何にもやる気が出なくて……。応援してくださるファンがいるし、家族もいる。だから頑張らなきゃいけないんですけど」

 さらには脱臼で離脱した。「あー、ラッキー。これで離れられるわ。そんな感じの気持ちになってましたね」。75試合出場にとどまり、打率.211はプロ17年間でワーストだった。

打ってもダメ出しばかり「あれしか打てんもんな」…コーチに辟易

 辛い時期を経て迎えた翌1998年。開幕を目前に控え、身だしなみを整えるべく行きつけの理容室に足を運んだ。通常は初芝氏が席に座るや「いつもの」と合図するだけでスタートする。この日に限って、マスターが「あのー、初芝さん、“ブリーチ”しますか?」と髪の毛の色を変える提案をしてきた。

「僕は“ブリッジ”と聞こえたんです。“ブリーチ”は知らなかった。パーマか何かの名前かな、と思った。僕はパンチパーマ世代じゃないですか。おー、久しくやってないからいいかな、と。じゃあ、お願いしますと伝えました」。任せて眠りに落ちた。

 どのくらいの時間が過ぎたのだろう。「ハイ、できましたよ」との声がして目が覚めた。どれどれと鏡を見たら「真っ金金ですよ! 向こうは『ちゃんと注文通りですよ』と言ってました」。大笑いで回想する。

 チーム練習が待っていた。「怒られるよなぁ、って考えたんですが。前年の事もあるし、まあ怒られてもいいか、と」。球場の駐車場に着くと、指揮官とばったり。「うわー、一番最初に監督に会っちゃったよ」と“お叱り”を覚悟した。だが「おおっ、いいね、それ」と褒めてくれるではないか。「じゃあ、いいや。俺このままで、と」。

 初芝氏は球史を顧みる。「プロ野球の日本人選手で金髪って、それまでいなかったのでは。たぶん僕が日本人第1号だと思います」。結果的に気分一新の良い機会となっていたようだ。

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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