巨人が指名“確約”も…まさかの裏切り 嫌だった中日入り「プロ行きません」
山崎武司氏は1986年ドラフトで中日から2位指名…避けたい球団の1つだった
ジャイアンツに行けると思っていたのに……。1986年のドラフト会議で愛工大名電の山崎武司捕手(現野球評論家)は中日から2位指名を受けて入団したが、当初は拒否の構えを見せていた。「中日は行きたくない球団のひとつだったからね」。子どもの頃から巨人ファン。地元の中日は好きではなかった。1位がライバルの享栄・近藤真一投手だったことも「ちょっと面白くなかった」。何より第1希望の巨人から指名されなかったことがショックだったという。
愛工大名電で高校通算56本塁打を放った山崎氏は甲子園出場こそなかったものの、強肩強打の大型捕手としてプロスカウトから注目された。進路はプロしか考えていなかった。「プロのスカウトもたくさん来ているし(愛工大名電の)中村(豪)監督も『どうやら、お前、プロに行けそうだぞ』と言ってくれていたので、自分もその気になった。社会人とか大学とか他にも選択肢はあったんだけど、もうプロ1本って宣言していました」。
強く思い描いていたのは巨人入りだった。「スカウトの方が熱心に来てくれたし、自分は巨人ファンだったからね。もうジャイアンツしか頭になかった。ドラフト前には『大変申し訳ないけど1位は(亜大の)阿波野(秀幸投手)で行く。でも阿波野は競合になるから、外した時は山崎君を1位で指名するよ』って言われた。外れ(1位)ってことだけど、それでもうれしいから『ありがとうございます』ってね」。
逆に行きたくない球団として考えていたのは「中日と南海と広島だった」と明かす。「中日は地元だから嫌だった。南海は1億円プレーヤーになれないのではって思った。広島は12球団で一番練習がきついって聞いたから絶対行きたくなかったんです」という。「中日の担当スカウトの水谷(啓昭)さんには、事前に断りというか『行きません』とはっきり言っていました」。それほどまでの強い気持ちだった。
だが、思うようにことは運ばなかった。1986年11月20日のドラフト会議で巨人は亜大・阿波野を1位入札。3球団競合の抽選で近鉄が交渉権を得たところまでは山崎氏にとってワクワクの展開だったが、その後が違っていた。巨人は外れ1位で日大明誠高の木田優夫投手を指名した。「阿波野さんを外した時は、“俺、ジャイアンツやん”って思ったんだけど、木田って……。は? みたいな」。それでも山崎氏はすぐに気を取り直した。
「1位が木田になっても、まだ信じていて、2位でいってくれるだろうと思っていたのでね」。当時は2位以下も入札方式。だが、巨人が2位で入札したのは河合楽器の水沢薫投手(巨人、阪神、ロッテの3球団が競合し、巨人が交渉権を獲得)。そして中日が山崎氏を2位で単独入札した。まさかの展開はあまりにもショッキングだった。「その時の俺はもう親にも中村監督にも『プロに行きません』って言っていた」という。
入団拒否→社会人入りを検討も…恩師の言葉で中日入団を決断
中日のドラフト1位は5球団競合の末に、そのオフ就任の星野仙一新監督が引き当てた近藤。山崎氏にとって同じ愛知県でしのぎを削った最大ライバルの左腕だ。「それもちょっと面白くなかった。プロでも真一とは闘って、やりたいなぁと思っていたしね」という。この時点では完全に中日入団拒否の構えだった。
「中村監督には『社会人をどこか見つけてほしい』とお願いしました。社会人だったら(次にドラフト対象となるのは)3年後でしょ。大学は4年じゃないですか。『3年でまたジャイアンツに指名してもらえるようにやりたいから中日には行かない。俺は3年後に巨人に行くから』って言っていた」。巨人に裏切られた形になったにもかかわらず、そう口にしていた。18歳にはやはり残酷すぎるドラフトだった。
「くよくよしていたらお袋が『アンタは顔で落ちたんだよ、ジャイアンツには顔の選考もあるらしいよ』ってふざけて言ってくれた。親父も『お前の好きなようにしろ』って言ってくれた。まぁ、結局は中村監督に『最終的にプロに行くんだったら、今行ってもいいんじゃないか』と言われて、ドラゴンズにお世話になることになったんですけどね」。子どもの頃から言い切っていた「プロ野球選手になる」。悩んだ末にその道に進むことを決断した。
この時、山崎氏が中日入りを選択していなかったら、また違う野球人生になっていたことだろう。「思えばあの年の春先、まだ評論家だった星野さんが名電のグラウンドに来たんですよ。その時、俺を見て『おお、なかなかええ選手やなぁ』って言ってくれたみたいです」。その星野氏が監督になってドラフト前に「中日には行きません」とかたくなだった山崎氏を強行指名したわけだ。
「そういうご縁だったけど、あの時はとてもショックでしたね。中日指名は」と山崎氏は振り返った。巨人への思いは中日入り後もしばらく続き「ジャイアンツのユニホームを見たらウォーって思いました。かっこええなってね」と笑い、打倒巨人に燃え出したのは「中日で1軍の試合に出られるようになってから」という。「やっぱりジャイアンツ戦で打ってナンボだと思い始めたからね」。忘れられないドラフトの悲劇。それも糧になった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)