意識不明の日本ハム・木田GM代行に懸命の呼びかけ “恩人”が大谷翔平と共闘する奇縁【マイ・メジャー・ノート】
エスコンフィールドは「まさに純粋な本拠地」…選手に与える好影響
日本ハムの木田優夫GM代行が、米国視察に訪れた。2014年に現役を退き翌2015年にフロント入り。昨季までは2軍でコーチ、監督を務め現場での視点を養った。信条は「チームと日本球界発展のため力を尽くす」。球団要職に就き視座をより高める木田氏は、現役時代と同様に地道な努力を積み重ね粘り強く目標に近接していく。【全2回の後編】(取材・構成=木崎英夫)
木田氏はタイガース時代に同球団のGM補佐となった吉村浩氏(現日本ハム・チーム統括本部長)と絆を深めた。2003年にドジャースで米再挑戦。2004年途中に移籍したマリナーズでは生き残りをかけサイドスローに転向も、大半をマイナーで過ごした。生死を分けるほどの事故も経験した木田氏を吉村氏はずっと気にかけていた。
2006年にヤクルトで日本球界に復帰すると、16年ぶり2回目の球宴出場を果たした。プロ23年目の2010年には日本ハムのユニホームに袖を通し、2013年に独立リーグ入り。翌2014年に起伏に富んだ現役生活に幕を下ろすと、満を持して吉村氏から声がかかった。引退翌年の2015年に木田氏は日本ハムのGM補佐となった。
招聘された理由を本人は、こう語る。
「外食は僕が全部支払っていたのでその恩でしょう(笑)。実は、その頃に日本との“差”についてよく話をしました。技術はもちろんですが、僕は、選手の待遇も含めた野球環境の違いにも大いに驚かされました。引退後は指導者よりもフロントという夢が芽生えていたのを彼は分かっていました」
独立リーグ「ベースボール・チャレンジ(BC)・リーグ」の石川ミリオンスターズでは将来を見越して営業とGMを兼任した。
昨年3月に開場したメジャー級の開閉式屋根付き球場「エスコンフィールド」が日本ハムの本拠地となった。四半世紀前に吉村氏と語り合い描いた夢の1つ「快適なプレー環境とファンが楽しめる“ボールパーク”」が多くの人々の尽力で北の大地で具現化している。
新球場の誕生は、選手の調整法に好影響を与えていると言う。
「新球場はまさにファイターズの純粋な本拠地です。自分たちが自由に使える空間になり、先発投手は遠征に帯同せずに残ってじっくりと調整できるようになりました。大きなことですよ」
見据える先…パフォーマンスアップへ目指す更なる環境整備
選手の心情に寄り添えるのが木田氏の強み。若手を育成する2軍では、投手を肩や肘の故障から守るための取り組みや選手個々に合ったランニングメニューを推奨している。プロアマを問わず、日本ではいまだに量のノルマにとらわれる現状があるが、チームには柔軟な考え方が浸透している。
木田氏はさらに先を見据える。
シアトル郊外の「ドライブライン」など、近年は日米を問わず、野球を科学的に解析し収集したデータ分析から独自のメニューで指導するトレーニング施設が選手に人気だが、この潮流を球団発展への推進力に変えようという意欲の芽を育てている。
「優秀なスタッフがいて、そこに出向いた選手は自分を向上させている。でも、ファイターズはそれ以上の環境整備を目指して選手個人のパフォーマンスを上げられるようにしなければいけないと、現場に出て僕は強くその必要性を感じました。このチームに来て本当に良かったと選手がそう思えるようにしたいという組織の一貫した理念とつながっています。コーチ、トレーナー、ストレングスなど現場で腐心する担当者たちと気持ちを一つにしています」
自身の来歴に深く刻んだメジャー挑戦の地で木田氏は、改めて、ファイターズから巣立っていったドジャース・大谷翔平投手の大躍進を心から称え、懸命の呼びかけで意識不明の淵から引き揚げてくれた中島陽介トレーナーと大谷の巡り合わせに不思議な因縁を感じると言う。
余談としながらも、木田氏は中島トレーナーの“機転”を弾む声で披露した。
「もうだいぶ前になりますが、ドジャースのマイナーで仲間同士の口論から耳を噛みちぎられる大騒動が起きたんですが、拾った肉片をすぐに氷で冷やし病院に持ち込んだのが中島君でした。僕はもう日本に戻っていましたが、興奮気味に連絡してきました。被害に遭った選手は彼のおかげで無事に縫合手術を受けられたんです」
米ボクシング史上最も卑劣な行為として語り継がれているマイク・タイソンの“耳噛み切り事件”とまったく同じことが野球でも起きている。2014年にドジャース傘下3Aアルバカーキに所属するミゲール・オリーボ捕手が口論となったアレックス・ゲレーロ内野手の耳を食いちぎった衝撃的な事件だった。その修羅場で冷静に行動したのが中島陽介トレーナーであったことはあまり知られていない。
「ファイターズと日本プロ野球界の発展に力を尽くす」フロント職で豊穣の日々
帰国後の木田氏は多忙を極めている。
「今秋のドラフトに向けて、高校、大学、社会人の逸材探しに視察の日々が始まっています。休みはほとんどないですけど楽しいです」
最後にぶつけた。10月24日のドラフト会議で登壇はあるのか――。
「肩書がGM補佐だった2017年のドラフトで、僕は栗山監督に代わってくじ引きをして、7球団が競合した早実の清宮幸太郎を引き当てました。で、覚えてます? 翌年は根尾(中日)を外してしまいました。今年のこと? まったく分かりません」
現役実働27年をまっとうした木田優夫氏。味わった辛酸はフロント職で豊饒の時を迎えている。「ファイターズと日本プロ野球界の発展に力を尽くす」は、濃密な野球人生からじわりと染み出てくる誠実な境地である。
◯著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。シアトル在住。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)