ブチギレ直前の指揮官に“でまかせ” 中日主砲が貫いた嘘…生まれた怪我の功名

2000年5月16日横浜戦の星野仙一氏と山崎武司氏【写真提供:産経新聞社】
2000年5月16日横浜戦の星野仙一氏と山崎武司氏【写真提供:産経新聞社】

OP戦でスパイクを忘れて「今年はこれで」…星野監督に“でまかせ”

“試練”の年だった。元中日の山崎武司氏(野球評論家)はプロ14年目の2000年シーズン、セ・リーグ6位の打率.311をマークした。規定打席に到達しての3割超えは1996年の.322以来、2度目のことだった。「その年はライトへ結構打てるようになっちゃったんでね」と笑ったが、それはまさかの展開があったから。オープン戦で星野仙一監督に対して、咄嗟についた嘘が、この成績につながったという。

 中日のリーグ優勝が決まった1999年9月30日のヤクルト戦(神宮)で、山崎氏は一塁守備中に打者走者と交錯して左手首を骨折した。そのため、ダイエーとの日本シリーズに出場できなかったが、怪我による違和感は翌2000年の春季キャンプでもあったという。「まだ痛かったんですよ。それでキャンプでは右打ちばかりしていたんですけど、そしたら何かコツをつかんじゃって。それまでは右打ちは難しいと思っていたんですけど、意外とできるな、なんてね」。

 そのままオープン戦に突入した。そして“事件”が起きたという。「宇都宮で巨人とオープン戦があったんですけど、俺、スパイクを忘れてしまった。“ウワッ、ねーわ、どうしよう”ってね」。状況を申告せずにアップシューズでバッティング練習を始めた。「人工芝用のイボイボのヤツです。やっべーなぁと思って、しかたないから、それで打っていたんですけど、案の定、星野のおっさんに『おい』って言われたんです。『はい』と返事しながら、“来た”と思いましたね」。

 この年は、そこからすべてが始まった。「『何やお前、それ。スパイクを履いてないじゃないか、どういうことや』って聞かれたので『いや、あのぉ、ちょっと、去年の骨折もあっていろいろ考えがあって、今年はこれで打とうと思います』って言っちゃったんです」。スパイク忘れを隠すために、咄嗟に出た“でまかせ”だった。「そしたら試合で2本か3本、ヒットを打ったんですよ。で、もう次の日からスパイクを履くわけにはいかなくなったんです」。

 山崎氏は「もう違和感のかたまりでしたよ」と笑う。「バッティングで俺、どっちかというと前で打つバッターだったけど、前に出てガーっとやるとズルっと滑るわけですよ」。でも、やめるわけにはいかない。「それで、どうしたかというと、そーっと入らないと足が止まらないので、そーっと軸足に乗せて、そーっとやってコーンとやったわけ。そしたらまたライトに結構打てるようになっちゃったんですよね」。

元中日・山崎武司氏【写真:山口真司】
元中日・山崎武司氏【写真:山口真司】

打席で施した工夫「目茶目茶、苦労したんですよ」

 1シーズン、そのスタイルを貫いた。結果、ホームランは18本で前年の1999年より10本減ったが、前年.246だった打率はリーグ6位の.311にアップした。その年はオールスターゲームにも監督推薦で出場し、その時も「スパイクは履いていなかった」という。そんな中、7月23日の第2戦(GS神戸)に「5番・指名打者」で出場し、初回に西武・松坂大輔投手から右前2点打を放つなど、4打数3安打2打点の活躍でMVPにも輝いた。

「あれは(愛工大名電の後輩のオリックス)イチローと一緒にお立ち台に上がれてうれしかったですよね。イチローが(日本で)最後の時だったしね。大輔からもあの時は打ったけど、シーズン中は1本もヒットを打てなかったからね。俺、10打数で8三振くらいしているんですよ」。“スパイクなし効果”は至るところで出たようだが、相手チームの捕手からは不思議がられたそうだ。

「ヤクルト戦では(捕手の)古田(敦也)さんに試合中に後ろから『おい、山崎、なんでスパイクを履かないんだよ』ってずーっと言われていましたからね。『いや、その話をすると長くなるので、また今度話しますわ』って言っていたんですけどね」。とはいえ、スパイクなしは本当に大変だったという。

「試合中に土が掘れて(打席が)でこぼこになると、やっぱり打ちづらいんです。だから、まず全部きれいに埋めて真っ平らにして、なおかつ、その上にちょっと砂を集めて、ちょっと山にするんですよ。で、ちょっとかかるようにしてって目茶目茶、苦労したんですよ」。打率.311の結果が出ても、続ける気はさらさらなかった。「次の年(2001年)は速攻でスパイクを履きましたよ」と大笑いだ。

 オープン戦で星野監督に咄嗟についた嘘から始まった2000年シーズン。「(その件で)星野さんには怒られなかったからね。まぁ、結果で黙らさせたって感じだよね」。ちなみに山崎氏が打率3割超えを果たしたのは、この年が最後。「違和感のかたまりだった」というスパイクなしだが、すさまじいばかりの“意地のかたまり”で結果を出したともいえそうだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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