参拝1000回の母への恩返し 地元の「太郎坊さん」へ“寄進”…茶野篤政の胸中
オリックス・茶野篤政、母に「結果を出して、恩返しをしたいです」
母の愛は山より高く、海よりも深いものだ。オリックス・茶野篤政外野手は、母親の献身的なサポートに感謝の思いを込めてバットを振っている。「ありがたいですね。結果を出して、恩返しをしたいです」。9月26日に今季3度目の1軍昇格を果たした茶野は、真夏のファームでの奮闘を裏付ける日焼けした顔ではにかんだ。
茶野は9月28日の敵地・楽天戦で「1番・右翼」で先発出場すると、5打数1安打1打点でチームの勝利に貢献した。母の博子さんは、滋賀県東近江市の自宅近くにある赤神山の阿賀神社へ参拝を定期的に始めて、8年になる。中京高の1学年先輩で2016年ドラフト9位で日本ハム入りした今井順之助内野手らが夏の甲子園出場を果たした後、新チームになったのがきっかけだった。博子さんは「願掛けというより、甲子園を目指すチームの親として、自分で決めたことを頑張ろうかなと思いました」と当時を振り返る。
阿賀神社は聖徳太子が国家安泰を祈願し建立したとされ「太郎坊宮」とも呼ばれ勝負事の神様として知られる。お守りには「勝」の1文字が記され、スポーツ選手や実業家の参拝が多いという。赤神山の麓の旧八日市市小脇町で生まれ、地元の箕作小学校、聖徳中学校に通った茶野にとって、町のどこからでも見える「太郎坊さん」は身近な存在だった。
小学1年から始めた少年野球では、うまくプレーができなかった時などに気持ちを切り替えるために、博子さんと参拝していたという。「勝負の神様だから参るのではなく、不甲斐ない試合をした後に一緒に登って、原点に戻るじゃないですが、リセットしてここから頑張ろうという思いだったんです」。母は、息子の成長に目を細める。
「勝負事ですから、全て勝つつもりで寄進しました」
博子さんは今でも、毎週末に自宅から歩いて約30分かけて麓に着き、742段の急な参道を登り、本殿までに何か所かある祠に手を合わせ、茶野の無病息災やチームの勝利を祈る。雨や多少の積雪でも「何でも自分との戦いだと思いますので、自分で決めたことは頑張ります」と参拝は欠かさない。茶野はプロ入り後も、初めてのオフで帰省した今年の正月に参拝。阿賀神社が進めている木製鳥居の再興に賛同して寄進。麓から神社に続く参道に「百戦百勝」と記された茶野の鳥居が建立された。
茶野は「勝負事ですから、全て勝つつもりで寄進しました」。お気に入りは、本殿や参道から臨む景色だという。箕作小学校や自宅も見え、眼下には万葉集で額田王が詠んだとされる短歌「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」の舞台となった蒲生野の平野が広がる。「あの景色を見ると、落ち着くんです」と故郷に思いをはせる。
博子さんが参拝した29日にも2点二塁打、犠飛で2安打、3打点と活躍。お参りのご利益があった。母の太郎坊宮参拝は、間もなく1000回を迎える。茶野も原点に帰り、怪我なく努力し続けることでチームに貢献する選手になることを誓っている。
○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。
(北野正樹 / Masaki Kitano)