39歳で復活も周囲から止まらぬ“中傷” 筋肉増強剤、違法バット…屈辱の末の栄光
山崎武司氏は2007年、43本塁打&108打点でリーグ2冠王に輝いた
2007年、プロ21年目の楽天・山崎武司内野手(現野球評論家)は打ちまくった。39歳になる年に大ジャンプアップ。43本塁打、108打点をマークしてパ・リーグ2冠王になった。野村克也監督の指導を受けて2年目。持ち前のパワフルな打撃がさらに進化した。「自分でもどうなっちゃったのって思っていた」という。まさに、すさまじいばかりの打棒だったが、その一方で不本意すぎることも。「目茶苦茶疑われた」と話した。
野村監督との出会いが山崎氏を変えた。「最初の年(2006年)はお互い探り合いの1年。野村野球、野村の考えというのを勉強しながらやった1年だったけど、次の年(2007年)にあんなことになるとはね。自分も思っていなかったし、嘘だろって思っていましたよ」。野村楽天1年目の2006年に19本だった本塁打が、2年目の2007年はキャリアハイの43本と大幅増。プロ21年目の大躍進だった。
この年は3月24日の西武戦(グッドウィル)で開幕。楽天は3月の6試合を1勝5敗、「4番・指名打者」で起用された山崎氏もこの時点では打率.095、1本塁打だった。4月1日のオリックス戦(フルスタ宮城)では4番を外され「8番・指名打者」で2号満塁弾を放ったが、その後も打順は5番か6番。ただ、本塁打は4月に8本と量産ペースに入っていた。そして5月に打棒が爆発した。
「6番・一塁」で出場した5月2日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で和田毅投手から10号、11号を放って勢いに乗った。5月11日のオリックス戦(スカイマーク)からは4番に定着。5月17日の日本ハム戦(東京ドーム)では1試合3発。5月27日の横浜戦(横浜)では20号に到達した。5月は打率.342、12本塁打、27打点の成績で月間MVPも受賞。山崎氏の活躍で楽天は5月に14勝9敗。最下位を脱出して4位に浮上した。
「野村監督にはお前は考えて打っていなかったと言われていたので、自分なりに考えた。1球、1球、ない頭で考えていたということです。バッティングって難しいけど、難しいことを難しく考えてしまっても駄目だから、そこは単純明快にね。三振するのも理由がある。ヒット、ホームランを打つにも理由がある。監督にはそれを考えろ、そして前に進んでいけって。10回のうち、7回失敗するんだからってことも常々言われた」
元燕戦士が“嫉妬”した野村監督との蜜月「お前はいいよな」
野村野球は山崎氏にピタリとマッチした。「バッティングに関して『駄目なら次頑張れ、次駄目だったら、次々頑張れ、それで駄目ならもっともっと努力しろ。それで駄目ならもっともっともっと努力しろ、それで駄目なら諦めろ』って。その辺も自分にはすごく合っていた。野村監督の影響でいろいろ考えるようになった。恥ずかしながら39歳でね。『体が動かん時は最後、頭だよ』っていうところがそこだったと思う」。
前半終了時点で31本塁打。中日時代の2000年以来、3回目の出場となったオールスターゲームには、プロ21年目にして初めてファン投票で選出された(指名打者部門)。「ホントありがたかったですね」。2004年にオリックスを戦力外になった時には引退も考えていただけに、感慨深いものもあっただろう。フルスタ宮城で行われた球宴第2戦(7月21日)では先制2ランを放つなど、きっちり活躍も見せた。
1996年以来、11年ぶりに100打点にも到達。最終的には打率.261、43本塁打、108打点の成績を残して、本塁打、打点の2冠王に輝いた。「三振も増えた(142三振)けど、野村監督は『三振もその理由さえ自分で解決すれば次につながる。お前に当てにいっての内野ゴロとか求めてないよ、振れ』って。そう言ってくれて楽になったし、それがタイトルを取れた原動力になったかもしれない」と山崎氏は言う。
その一方で「周りからは疑われましたよ。ボールがむちゃくちゃ飛んでいるし、ホームランがバンバン出るから違法バットを使っているんじゃないかとか、筋肉増強剤をやっているんじゃないかとかね。言われた、言われた。目茶苦茶言われた。こっちはどうぞ(調べるなり)やってくださいって言っていたけどね」とも。それほどすさまじい打棒だったわけだが、野村監督の教えを学び、取り組んだ成果だけに、たとえ冗談でも言われたくなかっただろう。
「俺は(ソフトバンクの)杉内(俊哉投手)が苦手で、監督に『今日は杉内だから打てないので出たくないです』と言いにいったことがあった。怒られると思っていたけどね。そしたら『お前なぁ、出たらいいことがあるかもしれんぞ』ってなだめられたんですよ。それで出たら3ラン。インコースのスライダーにヤマ張ってね。監督が『ホレ、いいことがあっただろう』って。監督との信頼関係ができていたから、そういう話もできたと思っている」
“野村の教え”で超進化した山崎氏の打棒。「監督はヤクルト時代と楽天時代では全然違ったみたい。俺がフレンドリーに監督と話すのを横目で(元ヤクルト選手で楽天コーチの)池山(隆寛)さんや橋上(秀樹)さんが『お前はいいよな』って感じでいつも言われましたからね」というから、名将と出会うタイミングもまたバッチリだったのかもしれない。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)