中日右腕に味わわせた“屈辱” 膝・肩・血行障害…満身創痍の阪神ドラ1が築いた不敗神話

元阪神・中田良弘氏【写真提供:産経新聞社】
元阪神・中田良弘氏【写真提供:産経新聞社】

中田良弘氏は1981年7月21日から1985年8月11日まで18連勝

 約4年、黒星がつかなかった。元阪神右腕の中田良弘氏(野球評論家)はプロ1年目の1981年7月21日から5年目の1985年8月11日まで18連勝をマークした。その間に右膝痛、右肩痛、右腕血行障害に見舞われながら、御園生崇男氏に並ぶ球団記録を成し遂げた。そこには運もあったし、実際のところ、コンディションは万全ではなかったという。「肩などの状態は“晴れ”の日もあれば、“雨”の日もあった。天気予報みたいなものでした」と語った。

 5シーズンにまたがっての記録だった。1年目は6勝5敗8セーブで、リリーフで3勝目を挙げた1981年7月21日の広島戦(甲子園)からは4勝0敗2セーブ。右肩痛の影響で1試合の登板に終わった2年目は1勝0敗だった。3年目は18登板、防御率7.66で0勝0敗。4年目は30登板で4勝0敗と推移し、5年目の1985年は開幕から9連勝をマークした。シーズン12勝5敗で阪神優勝にも大貢献した。

 2年目、3年目は活躍できなかったし、4年目も年間通して働いたわけではない。それでも黒星がつかなったのは巡り合わせの良さもあってのことだが、運も実力のうち。それをたぐり寄せる何かもきっとあったことだろう。もっとも中田氏は「連勝していたなんて言われるまで気付いていなかったんですよ」と明かす。「18連勝よりちょっと前くらいかな。雑誌記者の方が“中田さん、今、十何連勝ですよ”と教えてくれて、それで初めて知ったんですよ」。

 日々、それどころではなかった。「右肩などの状態は毎日、その日になってみないとわからなかったんです。天気予報みたいでした。キャッチボールで“今日は(体の状態が)晴れ”と思えた時は調子がよかったし、アカンな“雨”だなと思った時はやはり駄目でしたね」。そんな状態でずっとマウンドに上がっていた。ただ、自身が“雨”の日で抑えられなくても黒星はつかなかった。「まぁ、ねぇ。何か知らんけど」。特に4勝0敗の4年目はそうだったようだ。

 阪神が優勝した5年目も比較的“晴れ”の日が多かったという。「あの年は、血行障害の症状もあまり出て来なかった。感覚的に(右手が)冷たいとかはありましたけど、そこまでひどくはなかったですからね」。リリーフで3勝をマークした後、6月15日の大洋戦(甲子園)で先発し、6回1失点で4勝目。そこから中5日で先発した6月21日の大洋戦(横浜)では1失点で、プロ初完投勝利をマークした。

「横浜で勝った時は、途中、雨で何十分も中断したんですよ。でもリードしていたし『行けるか』と聞かれて『行けます』と言いました。(横浜市出身で)地元だったんで知り合いとか、家族とかも来ていたんでね。いいところを見せようと思って」。天気は雨でも自身の状態は“晴れ”だったわけだ。先発ローテ入りしてから好コンディションはさらに続いた。6月27日の中日戦(ナゴヤ球場)は3失点で、2試合連続の完投勝利で6勝目を挙げた。

阪神が優勝&日本一の1985年、チーム2位の12勝を挙げた

 その試合、7回表には中日・鈴木孝政投手からプロ人生唯一の本塁打も放った。「確かノーアウト一塁でバントのサインが出たんですけど、鈴木さんの球が速くてバックネットの方にいっちゃったんです。そしたら打てのサインに変わった。最初にバント失敗した時に、(中日)ショートの宇野(勝)さんがセカンドポジションに早く入ったので、よーし、ショートゴロを打ってやろうと思ってパチーンと打ったらホームランになったんです」と中田氏は笑顔で話す。

「孝政さんにはね、球場とかで会ったら今でも言われますよ。『ピッチャーの中田に打たれたのはすごい屈辱なんだよ』って冗談でね。でも、あれは鮮明に覚えていますね」。それも含めて、いい流れが来ていたのだろう。「肩の状態とかは、その日にならないとわからないですけど、先発の場合は(登板間隔があり)まだ何とか調整ができるじゃないですか。それもよかったのかもしれませんね」。

 残念ながら8月17日の広島戦(広島)は体が“雨状態”だったようで、2回4失点で敗戦投手になり連勝は18で止まったが、めげることはなかった。中4日先発の8月22日の大洋戦(横浜)は味方打線から16点の大量援護を受け、6失点完投勝利で初の2桁、10勝目。8月28日の広島戦(甲子園)ではプロ初完封勝利で11勝目を挙げた。そして吉田義男監督率いる阪神はリーグ優勝へ向かって突き進んでいった。日本シリーズも制覇する最高の年になった。

 レギュラーシーズンでの中田氏の12勝は、阪神ではリッチ・ゲイル投手の13勝に次ぐ勝ち星。まさに大貢献のV戦士になった。「やっぱり優勝できたのはよかったなと思いますね。いい年に活躍できた。それは自分の中でも大きいですよね」。翌1986年からは4シーズン連続0勝とまた苦しい時期がやってくるが、18連勝もリーグ優勝も日本一も中田氏にとってはもちろん、一生忘れることのない思い出だ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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