阪神から戦力外→2球団から打診も…愛妻の一言で“翻意”「終わった方がいい」
中田良弘氏は1994年オフに戦力外となり引退…当初は現役続行を希望していた
阪神一筋で終えることを選択した。1985年V戦士右腕の中田良弘氏(野球評論家)は1994年シーズン限りで現役を引退した。戦力外通告を受け、プロ生活は14年で幕を閉じた。当初は「まだ、もう一花咲かせたい」との思いが強かった。他球団からの誘いもあったが、最終的には断った。「女房に相談したら『阪神の中田で終わった方がいいよ』って言われた。それもそうだなと思った」などと、当時の思いを吐露した。
中田氏はプロ5年目の1985年に12勝をマークして優勝に貢献したが、右肩痛などもあって1986年から1989年まで0勝シーズンが続いた。プロ10年目の1990年にカットボールを覚えて復活し、10勝を挙げた。ところが、さらに右肘も痛め、1991年からは再び白星から見放された。「(コンディションは)ずっと同じでしたね……」。故障箇所はすべて完治しておらず、ボロボロの体ながら、何とかしたいとの思いで全力を尽くしたが、なかなか好結果が出なかった。
プロ14年目の1994年は開幕から2軍暮らしが続いた。1軍に呼ばれたのは7月下旬。7月30日の横浜戦(甲子園)に4番手で登板した。出番は0-3の9回で、打者4人に無安打2三振1四球の1回無失点。与えられたチャンスで懸命に投げて抑えた。だが、8月3日の中日戦(甲子園)は2-4の8回から5番手で登板して2回2失点(自責1)。その後2軍落ちし、それが結果的に現役最後の1軍マウンドになった。
また1軍に戻るつもりで、2軍で再調整したが、声がかかることはなかった。「シーズンの終わりに球団から『もう来季は……』っていう話がありました」。戦力外通告だった。「35歳の年だったけど、自分ではまだやりたい気持ちがあったんですよ。人間ってあるじゃないですか。“終わり”って言われたら、いやまだできるってね」。現役続行を希望した。
本拠地・甲子園でのシーズン最終戦となった10月1日の広島戦後、中田氏はマウンド付近に立った。引退が決まっていた1985年Vメンバーで同い年の平田勝男内野手とともに、その場でそれぞれの子どもから花束を受け取った。「平田は(2番遊撃で1打席だけ)試合に出てバントしたけど、僕は投げることはなかった。せめて1人でも投げたかったですけどね」。
中田氏はこの時点で阪神では終わりだが、まだ現役を諦めていなかった。「最初から(その試合に)投げる話はありませんでした。自分が(現役)続行と言ったからかどうかは知らないですけどね。まぁ平田は引退すると言っていましたもんね。やっぱりそこかなぁ。でも、それでも最後くらいねぇ……。花束をもらっただけでしたから」と、笑いながら複雑な思いも口にした。
横浜&ハムから誘いも…気になったそりの合わないコーチの存在
シーズン終了後、他球団からの誘いがあった。「自分から動いたわけではないけど、横浜から話はありました。『テストを受けに来ないか』って。でも断りました。“来てくれ”だったら行きますけど、テストを受けてまではやりたくなかったんです」。最後まで悩んだのは日本ハムだった。「阪神の西山(和良)編成部長から連絡あって『日本ハムから話があるけど、どうする?』って言われたんです」。
日本ハムはテストの誘いではなかったが、この件では、そりが合わなかったコーチの存在が気になったという。「行ったところで使われないんじゃないかと思った。例えば自分と若い子の力が一緒だったら、若い子を使うだろうし、チャンスも少ないよなぁとか、そこまで抑える自信もないかなぁとか、またしんどい思いをするのも嫌だなぁとかもね……」。結果、日本ハムも断り、現役続行も断念して引退を決断した。
「やっぱり冷静に考えたら、何が何でも現役、というのはなかったかなって思った。女房からも『もうやめとき、阪神の中田で終わった方がいいんじゃないの』って言われて、それもそうだなぁって思いましたしね。最後は自分で決めて、西山さんにも『辞めます』と言いました」
通算成績は226登板で33勝23敗14セーブ、防御率4.73。阪神だけで過ごした14年間のプロ生活は右膝痛、右肩痛、右腕血行障害、右肘痛と怪我との闘いの日々でもあった。「辞めたことで、あの痛みから解放されたのが一番ですかね。でも、やっぱり寂しいなと思ったのは、ああいう緊張感の中でもう野球ができないこと。だってなかなか味わえないじゃないですか。あの大観衆の前で、っていうのはね」。
怪我によるコンディション問題で、活躍した時期とそうではない時期が両極端なプロ野球人生ではあったが、阪神がリーグ優勝&日本一を成し遂げた1985年に12勝を挙げたV戦士だったことは燦然と輝く。「あの時に0勝1敗で何も参加できなかったら、そんないい思い出はなかったでしょうしね。まぁ、たまたま、その年に貢献できてよかったんじゃないですかねぇ……」。控えめながらも中田氏は笑顔でそう振り返った。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)