戦力外→トライアウトで失敗も“感謝”「通用しないんだなって」 岐路に立って見えた意味
NPB復帰の可能性が低くても…経験者が語るトライアウトの意義
ロッテの広報を務める上野大樹氏は、2015年オフに行われたプロ野球12球団合同トライアウトに参加した。例年、トライアウトを経て契約を掴みとる“合格者”はごくわずか。2024年限りでの廃止も検討されていたが、経験者として「凄く意味があるものですね」と思いを語る。
毎年オフに開催されてきた「12球団合同トライアウト」は、戦力外を受けてNPB復帰を目指すたちのアピールの場であることはもちろん、選手によっては家族にユニホームを着てプレーする姿を見せる“区切りの場”であるなど、様々な意味合いを持つ。NPBは2024年限りでの廃止を検討していたが、2025年オフからは選手会主催で実施されることになった。
2024年のトライアウトはZOZOマリンスタジアムで行われ、球団広報として働く上野氏は球場にいた。自身は2015年オフ、現役続行を目指して静岡の草薙球場で行われたトライアウトに参加した。毎年、トライアウトの合格者がとても少ない事は理解していた。それでも、現役続行を目指す選手たちは一縷の望みにかけてアピールするしかない。
当時29歳だった上野氏は、直球をアピールしようと意気込んでいた。しかし、白根尚貴(元ソフトバンク)に直球を右中間に運ばれるなど、打者3人と対戦して被安打3とアピールに失敗。「表現があっているのか分かりませんが、気持ちよかったですよ。もう真っすぐが通用しないんだなって」。どこかすっきりした気持ちで、球場を去る自分がいた。
「これだけ練習したし、最後まで悪あがきしたけど、ダメだった。プレーヤーとしてピリオドを打てました」
登板前のブルペンでも、感じていた事があった。上野氏の隣では、当時西武を戦力外となって参加していた田中靖洋が投げていた。そのボールを見て、自分との差を感じた。「右のオーソドックスな投げ方で、自分と同じようなタイプ。すごくいい球を投げていたんですよ」。野球人生に踏ん切りが付けられた1日だった。
「プレーヤーからすると、受かる確率が低いのは承知の上でやっています。ほとんどの人が長年野球をやってきていて、トライアウトを受ける人って野球を諦めなきゃいけない人がほとんど。少なくとも僕にとっては凄く意味のあるものでした」
新たなチャンスを掴む場所でもあり、終わりの場所でもある。様々な思いが交差する1日は、少なくとも上野氏にとっては大切なものだった。
(上野明洸 / Akihiro Ueno)