新人トレで肘痛も「言えなくて…」 “結婚直後”に受けた戦力外、苦悩の4年で残った後悔
![DeNA時代の齋藤俊介氏【写真提供:産経新聞社】](https://full-count.jp/wp-content/uploads/2025/02/07014042/20250207_saito_sv.jpg)
2017年ドラフト4位でDeNAに入団した齋藤俊介さんは通算16試合登板
2018年から4年間DeNAでプレーし、現役を引退後は3年間ファームサブマネジャーを務めていた齋藤俊介さんは、昨年12月からソフトバンクのグループ会社であるSB C&S株式会社で営業マンに転身した。即戦力の期待を受けながら、1軍登板はわずか16試合で防御率5.76。故障に苦しみ、「戦力外」の文字がちらついていたプロ野球生活を振り返った。
成田高から立教大、JX-ENEOS(現ENEOS)を経て、2017年ドラフト4位で晴れてプロの門を叩いた。“社会人卒”として「即戦力右腕」と謳われたが、プロ1年目は1軍どころか実戦登板なしに終わった。「実は新人合同自主トレから肘が痛くて、でもいきなり怪我をしたとは言えなくて……。頑張ったらキャンプ中に投げられなくなってしまったんです。言っておけばな、とか後悔は多少あります」。
待望の1軍デビューは2019年だった。リハビリをともに過ごしたトレーナーが横浜スタジアムに駆けつけ、涙を流して応援してくれたと後に聞いた。「緊張してあまり覚えていないんですけど、諦めずやってきてよかったと思いました」と喜びに浸った。しかし、長くは続かない。この年16試合に登板したのを最後に、齋藤さんが1軍マウンドに帰ってくることはなかった。
3、4年目と再び怪我に悩まされた。「どうしても戦力外がちらついてきちゃうんですよね」。1年勝負のプロ野球。危機感を感じるのは当然のことだった。それでも齋藤さんはとにかく全力で毎日を過ごした。心が折れそうになっても、2軍施設に向かう車の中で「今日もやるぞ! もっとできる!」と自らを奮い立たせた。
4年目を終えた2021年オフ、戦力外通告を受けた。どこかで覚悟はしつつも悔しさはあったが「2回も手術をさせてもらって、全然投げられない僕をサポートしてくれた球団には感謝の気持ちしかなかったのが本音です。クビと言われたらスッパリ諦めようと思っていたので『引退します』と伝えました」。トライアウトを受けることもなく、ユニホームを脱ぐことを決めた。
![元DeNA・齋藤俊介氏【写真:町田利衣】](https://full-count.jp/wp-content/uploads/2025/02/06115711/20250206_saito_mr.jpg)
サブマネ時代も「スカスタDASH」出場やネタ帳を持ち歩いた盛り上げ役
「僕より家族の方が気を遣っていたと思いますね。後から妻に聞くと、最後の年は毎朝なんて声をかけていいかわからなかったと、帰ってきても暗い顔をしていたと言っていました」。2021年1月に結婚し、同年秋に戦力外となったが、愛妻からは現役引退の決断に「お疲れさま、頑張ってよかったね」と労われた。
また球団側は齋藤さんの練習態度や人柄を見て、戦力外の際にスタッフとしてのポストを提示した。「今後のビジョンを考えて、あとは僕自身世話好きだったりするので頼ってもらえてやりがいを感じることができると思いました」とファームサブマネジャーとして第二の野球人生をスタートさせた。
齋藤さんは現役時代からムードメーカーとして練習前に一発ギャグをしたり、ファン感謝祭でも度々爆笑をさらっていた。マネジャー転身後も、ファームのイニング間イベント「湘南菱油presentsスカスタDASH」に出場して盛り上げ、いつ振られてもいいようにネタ帳も持ち歩いていたという。「それが僕のキャラだと思っているので。ファームも盛り上げたいと思っていたし、僕にできることがあれば、求めてくれるなら何でもやりたいと思っていましたから」と誇らしげな笑顔を見せた。
選手として4年間、裏方として3年間在籍したベイスターズに「いろいろなことを学べた本当に濃い7年間でした」と感謝する。うまくいくことが少なかったプロ生活も、その明るさと野球に打ち込む真面目な姿で周囲に愛された齋藤さん。変わらない“真っすぐさ”を武器に、SB C&S株式会社で「ビジネスマンとして一流に」を目指して歩んでいく。
(町田利衣 / Rie Machida)
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