岡田監督が憮然「大失敗、情報不足よ」 史上初“1位クジ3連敗”…退団になったスカウト
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熊野輝光氏はオリックスのスカウト時代に西勇輝獲得に関わった
四国IL・香川オリーブガイナーズ監督の熊野輝光氏(元阪急・オリックス、巨人外野手)は1997年からオリックスでスカウトになり、多くの選手を発掘した。スカウトグループ副部長だった2008年は三重・菰野高の西勇輝投手(現阪神)の獲得にも担当の安達俊也スカウトとともに尽力。2009年には部長に昇進した。しかし、2010年に退団。これには、その年のドラフトで1位指名が3連続でクジになり、すべて外れたことが関係していたという。
熊野氏は2004年ドラフトでオリックスが自由枠で獲得した金子千尋投手(現・日本ハムファームコーチ)の担当スカウトだったことでも知られるが、2008年ドラフト3位・西の獲得にも関わった。当時は副部長の立場。「西は(担当の)安達(スカウト)と一緒に獲った選手ですけどね」と懐かしそうに話した。「あの時は(スカウトの)みんなで(1位の)多数決をとったんです。で、僕は西を1位。あとの全員が(東海大三の右腕)甲斐(拓哉投手)でした」。
そしてオリックスは甲斐を1位で指名した。「甲斐は150キロを投げていましたからね」。2位も関西国際大学の左腕・伊原正樹投手になった。「これで西はヨソに獲られると思っていたら、3位の時に残っていた。えっと思いましたよ。すぐ行きましょうって言いました。体さえできたらすぐ投げられますから、コントロールがよくてフォームも直すところがないからってね」。
オリックス入り後の西は顔面麻痺を発症して苦しんだ時期もあったが、それを乗り越えて、3年目に2桁勝利をマークするなど、オリックスの主力投手として活躍した。2018年オフにはFAで阪神に移籍。その時、熊野氏が阪神スカウトという“縁”もあった。実力があっても怪我に泣いたり、プロで成功する選手はほんの一握りの厳しい世界。そのなかで関わった選手が大成するのはスカウトとして最大の喜びだ。「西はホント、頑張ってくれてねぇ」と目を細めた。
史上初の3連続1位クジ外し…2010年ドラフト後にオリックスを退団
2009年から熊野氏はオリックスのスカウトグループ部長に昇進したが、わずか2シーズンでその役目を終えた。2010年のドラフトを最後に退団した。「『誰が責任をとるんや』ってなった時に、結局、僕になったって感じですね」。これには、その年のドラフト1位指名で、オリックス・岡田彰布監督がクジを引き、史上初の3連続外れとなったことが関係していたという。
最初に6球団競合の早大・大石達也投手のクジに敗れた(西武が交渉権を獲得)。続いて“外れ1位”の東海大・伊志嶺翔大外野手もロッテと競合して獲られた。さらに“外れの外れ1位”の履正社・山田哲人内野手もヤクルトとの抽選に敗北した。オリックスは“外れの外れの外れ1位”で「上州のイチロー」と呼ばれた前橋商の後藤駿太外野手(現中日)を指名したが、岡田監督は3度も競合したことに「大失敗。情報不足よ」と発言した。
「あの時、僕らは席についているでしょ。で、終わったら帰ってくるでしょ。普通はご苦労様って感じになるんだけど、村山(良雄)球団本部長も岡田監督も、もう先に帰っているんやから……。そんなのも前代未聞だった。僕はあの時『これはいくら何でもチームとしておかしいんじゃないか!』って言っていたんですけどね……。で、村山さんが決めたようですけど、僕が退団することになったんです」
オリックスを去った熊野氏は2011年、古巣のヤマハ(旧名称・日本楽器)で臨時コーチを務めた。2012年は巨人の大阪駐在スカウト。2013年からは阪神のスカウトと立場が変わった。まさかの“クジ3連敗”が野球人生の流れも変えてしまった形だった。「でも、後藤をすぐ使ってくれたからね」。後藤は「駿太」の登録名で2011年、NPBの高卒新人外野手では52年ぶりの開幕スタメンデビューを果たした。それも熊野氏にとってはうれしい出来事だった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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