巨人入りで実感したDeNAとの違い 支配下外れるも…一切の不満無し「当然だな、と」

巨人へFA移籍の梶谷隆幸氏は2022年オフに育成契約に「3桁の背番号も何も思いませんでした」
2020年オフにDeNAから国内フリーエージェント(FA)となり巨人に加入した梶谷隆幸氏は、2021年3月27日の古巣との開幕2戦目で移籍後初安打を満塁アーチで飾った。挨拶がわりの衝撃的な一発となったが、怪我が重なり61試合の出場にとどまると、翌2022年は膝の手術を受け、オフには“リハビリ組”としてFA選手ながら育成契約への切り替えという異例の経験も味わった。
「ジャイアンツは思っていたより明るい雰囲気でした。伝統球団という堅いイメージを抱く人もいるかと思うんですけど、みんな結構くだけてんじゃん、みたいな。僕は32歳のFA入団ということもあり、自由にやらせていただきました。ただ、若手に対してはDeNAより厳しいんじゃないかなとは思います」
本拠地で臨んだDeNAとの開幕第2戦、5-1の7回2死満塁で梶谷氏は笠原の内角高めの151キロを右翼スタンドへ運んだ。移籍後初安打は衝撃のグランドスラム。ベンチ前で仲間とのハイタッチを終えると、昂りを抑えるかのように大きく息を吐いた。
「早く1本ヒットを出したいなと思っていました。最高の形でよかったです。古巣(DeNA)からというのもよかったと思います」。発言とは裏腹に、淡々と振り返ったのは打率.282、4本塁打、23打点、11盗塁を残しておきながらも、このシーズンは死球や腰痛の影響で61試合の出場にとどまったから。「全然ダメですよね。ここから下回っていく4年間でした」と神妙な面持ちとなった。
移籍2年目の2022年は、前年10月のヘルニア手術からの復活を目指し「ほぼほぼ良くなった」という段階で左膝の内側を痛め、今度は5月に手術。シーズン中の復帰が絶望となると、オフに育成契約へ移行し背番号「005」となることが発表された。FA加入選手としては“屈辱”の措置にもみえた。
「プライドが傷ついたとか、文句の一つもなかったです。怪我でしたから当然だな、と。強がりとかではなく3桁の背番号も何も思いませんでした。チーム事情がある。プレーできない人間が支配下にいてもよくないと思っていました。まず、野球が下手くそになったわけではなかったので。球団からも怪我が癒えたら戻す、という話もしていただいていたので、とにかく早く治そうということだけでした」
スピードを武器としていた男が痛めた膝は、結局、その後も梶谷氏を悩ませ続け、最終的には野球人生の終わりをも決断させた。「今でも一切走れないですからね」。通算162盗塁の“韋駄天”はポツリとつぶやいた。
(湯浅大 / Dai Yuasa)