危険球で狂った歯車「あれ、おかしい」 下降する成績…元広島野手を襲った“拒否反応”

元広島・長嶋清幸氏、山本浩二新監督の1989年は不本意な成績
まさかの“症状”に陥った。元広島外野手の長嶋清幸氏は、プロ10年目の1989年、規定打席に届かずの打率.259、5本塁打、43打点の不本意な成績に終わった。この年から“ミスター・赤ヘル”山本浩二氏が広島新監督に就任。「浩二さんには現役の時にかわいがってもらったし、すっごく恩返しがしたかった」と気合十分だったが、それが空回りした。大洋(現DeNA)の若手投手に頭付近に投げられてから、打撃の調子が狂い始めたという。
山本カープが誕生した1989年シーズン。長嶋氏はこれまで以上に奮い立っていた。「浩二さんが監督になって、ホントにこの人のために俺、死ぬ気でやろうと思った」。私立静岡県自動車工(現・静岡北)からドラフト外で入団した1年目(1980年)のキャンプで「こいつ、ええスイングしとるぞ、先々ものになるぞ」と“推薦”してくれたのをはじめ、いろんな面でお世話になり「恩返しがしたい」との気持ちが人一倍、強かった。
「あの頃は練習もさらにきつくなった。オープン戦とかは、ホームチームよりも先に行って練習していたよ。それもグラウンドじゃないところでね。例えば松山だったら、競輪場で。みんなヘロヘロでホームチームの奴らが『何やっていたの』っていうくらい。あれは地獄だった。後にも先にもあれだけ練習したチームというか、選手もいなかったと思う」。それにも耐え抜いた。山本監督への熱い思いがエネルギーにもなった。
「オープン戦でも最後までそんなふうな練習をして、体は鍛え上げられた。もう何やっても、全力で一気にいきなり走ったって何ともないくらいの鉄人みたいな体になった。監督にもすごく期待されていた。部屋まで呼ばれていろんな話もしたしね。開幕してからも最初は調子がよかったんだよ」。4月8日の阪神との開幕戦(広島)には「6番・中堅」で出場して4打数2安打1打点。4月9日の2戦目は3打数2安打1打点で山本カープ初勝利にも貢献した。
3戦目の4月11日の大洋戦(横浜)も5打数2安打。3試合連続複数安打の好発進に「それまではどっちかというとスロースターターだったので、何か俺、今年変わっちゃったんじゃない、みたいにも思ったんだよね」という。そして「それが甘かったんだなぁ」としみじみと口にした。シーズン序盤から打撃の状態が一転しておかしくなったという。その原因として「たぶん大洋のあいつに、頭の辺に投げられて……」と話した。
ある日の試合で大洋の若手投手に投げ込まれた内角危険球。「当たってはいない。よけたんだけどね。でも、ちょっと気になったのはそいつと目が合ったの。普通、ピッチャーってキャッチャーミットを目掛けて投げるわけでしょ。なんで、そのリリースの瞬間に俺と目が合うんだって話なの。普通、目が合うわけないじゃん」。自身の調子がよかった時だけによけながら不信に思った。すると大洋の市川和正捕手が声をかけてきたという。
「体が拒否反応」…打撃コーチとも「話が合わなく」
「『あ、わりい、わりい、長嶋』って言われたので、市川さんに『いや、わりい、わりい、長嶋じゃないですよね、なんであいつ(若手投手)の目は俺を見とったんですか』って言いましたよ。そしたら『そんなことないって、長嶋、いくらコントロールがよくたって、たまにはすっぽ抜けることはあるって』みたいな感じで……」。それを聞いて長嶋氏は「まぁ、ええかと思った」という。それ以上、追及もしなかったそうだ。
「だって、俺に言わせれば(その投手は)まだペーペーやったから、別にそんなヤツを脅したって面白くないし、どうでもええわ、そんなもんってね。で、その次のボールの時、俺、わざと入っていって打つ気なしで見逃したの。向こうは変化球を外に投げてくるとわかっていたしね。あれでもう1球、内側に来たら大したもんだけど、さすがにそれはしなかったよね。まぁ、ボールも見えたし(危険球の影響はなく)大丈夫だ、よし次打とうと思ったんだけどね」
思わぬ事態は、その次の球で起きた。「もう絶対インサイドは攻めて来ないからって自分の中では思っているから、打ちにいって踏み込んで変化球とかのイメージ。で、変化球が来たので普通に打とうと思ったら、足がドン開きになっていた。全然(ボールへの)恐怖はないのに、体がそういうふうになっていた。あれ、おかしい。どうなっちゃったのって。そこからね、何か(打撃が)おかしくなった。ホントいいかげんにしろと思ったよ。むかついたなぁ」。
あの危険球でリズムが狂わされた形だった。「体が拒否反応ってヤツ。そうなったら相手バッテリーの勝ちだもんね」。もちろん、修正に動いたが、状態はあまり上向かなかった。「水谷(実雄)さんが打撃コーチだったけど、1から10までこうしろ、ああしろと強制されて何か話が合わなくなっちゃったんだよね。水谷さんも浩二さんを優勝させたいという気持ちがあるから、何とかしてっていうのがあったからなんだけどね」。
山本カープに貢献しようと誰よりも燃えていた長嶋氏は「それが、すごく空回りしちゃったんだよねぇ」と無念そうに話す。「ホント、結果が出せなくて……。(山本)監督には『お前がやってくれなきゃ困るから』って言われていたのに……」。1球で流れが変わった苦い経験。恩返しができなかった悔しい経験。節目のプロ10年目はまさに不本意なシーズンだった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)