空港で隠れた高卒新人に激怒「何、考えてるんじゃ」 “指導”が招いた騒動…待っていた移籍

広島など4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】
広島など4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】

長嶋清幸氏、1991年1月に広島から中日にトレード移籍

 強打、好守の外野手として名を馳せた長嶋清幸氏は、1991年1月に広島から中日に移籍した。音重鎮外野手と山田和利内野手との1対2の交換トレードだった。学生時代から親友関係の広島・山本浩二監督と中日・星野仙一監督による“友情トレード”と言われた。11年間在籍したカープを去ることになったが「同じセ・リーグに行かせてもらってありがたかった」という。赤ヘルでは微妙な立場になっていた。“教育係”を務めた若手の星の“台頭”もあった……。

 中日へのトレードが決まった時、長嶋氏は山本監督と星野監督の両指揮官へ感謝した。「パ・リーグじゃなくて同じセ・リーグに出してくれた山本浩二さんの俺に対する温情を感じたし、星野さんも俺を獲るために、音と山田、外野手と内野手の中堅を2人も出してくれた。あれは広島の方が有利なトレードだったと思うんでね」。ある程度、移籍は覚悟していたという。

 広島ラストイヤーとなったプロ11年目の1990年は2年連続で規定打席に届かず打率.277、7本塁打、39打点の成績に終わった。まだ29歳。衰えなどは全くなかったが、打撃の調子は、一番いい状態の時に比べれば落ちていた。この年の開幕戦(4月7日の阪神戦、広島)は代打からの途中出場。1983年から続いていた開幕スタメンは7年で途切れた。中堅のポジションにはロッテから移籍の高沢秀昭外野手が就いていた。

 それでもめげることなく取り組み、6月中旬にはレギュラーの座を奪い返したものの、数字を大きく伸ばせなかった。加えて“指導騒動”もあった。「あの時、前田(智徳外野手)が1軍に来て、俺は先輩の選手に言われたわけ。『あいつは基本的な挨拶とかができていないから教えておけよ』って。それで言ったんだけど……」。1989年ドラフト4位で熊本工から広島入りした前田は高卒1年目ルーキー。「まぁ彼もまだ子どもだったし、それまでにいろいろあったんだろうね」。

「首根っこをつかんで便所でパコ、パコって」

 長嶋氏は“教育係”として挨拶の徹底を伝えたが、1回言っても、2回言っても、先輩選手から「まだできていないぞ、どうなっているんだ」の反応があったという。「3回目に注意した時に『次、ねーぞ、お前』と前田に言った。『俺だって、こんなこと言いたくないぞ、朝会ったら“おはようございます”、昼だったら“こんにちは”、夜なら“こんばんは”か“お休みなさい”とか普通にやればいいだけじゃん。もう、これで3回言ったからな』ってね」。そして……。

「羽田空港で、朝、俺の顔を見た瞬間に前田が壁の方に隠れやがったのよ。挨拶すればいいだけなのに、何でわからないかなぁって思った。それで首根っこをつかんで便所で『4回目はないって言っただろ、何、考えているんじゃ』ってパコ、パコって。そしたら前田が熊本に帰っちゃった」。行き過ぎた指導として長嶋氏にはマイナスになった。自身の若手時代には何度も味わったことだが、それも時の流れとともに変わり始めていた。そんなこともあった年のオフに中日移籍となった。

 長嶋氏がカープを去った後、前田が中堅のレギュラーの座をつかんだ。その素質を開花させ、天才打者と呼ばれるほどに成長していった。1995年の右アキレス腱断裂など大怪我に見舞われながらも2007年に2000安打も達成した。そんな後輩を長嶋氏は「前田は天才とか言われるけど、やっぱり彼がやった練習量は尋常じゃなかったと思う。答えは体に出ていたよ。入ってきた頃はへろってしていたヤツが腿とか体の大きさが見る見るうちに変わっていったでしょ」と称賛する。さらにこう付け加えた。

「(2022年3月に)カープの(OBによる)レジェンドゲームが(マツダスタジアムで)あったでしょ。あの試合中、俺が一番話をしたのは前田だよ。もう彼も大人だしさ、ホントに明るく挨拶してきた。昔の話は昔の話やなぁ、なんて言いながらね。で、ゴルフの話ばかりしたよ。あいつ、うまいからね、無茶苦茶」。前田との一件も含めて、いろんなことがあっての野球人生。長嶋氏は現役時代に広島、中日、ロッテ、阪神と4球団を渡り歩いたが、それもまた財産にしている。

【画像】長嶋氏が激怒した高卒新人は“天才打者”…2000安打を達成したレジェンド

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