戦力外だけじゃない…西武25歳が味わった“どん底” 胸に刻まれた3年間「這い上がれる」

打ってはスイッチヒッター、守っては内・外野こなせるユーティリティ選手
昨季限りでソフトバンクを戦力外となり、25歳で西武に新天地を得た仲田慶介内野手。開幕1軍入りを果たし、レギュラー獲得を目指して爪を研いでいる。高校、大学、プロを通して養ってきた“どん底から這い上がる力”が一番の武器だ。
打ってはスイッチヒッター、守っては内・外野どこでもこなせるユーティリティ性を誇る仲田。“練習の虫”、“努力の塊”とも呼ばれる。福岡大大濠高時代の同級生で、今季からまたチームメートとなった古賀悠斗捕手は「仲田の練習量は高校時代から凄かった」と証言する。
というのも、福岡市内の軟式クラブチームでプレーしていた中学時代は「スタメンで出ても途中で代えられたり、試合に出られなかったりするレベルでした」と仲田は語る。それでも、県内きっての強豪・福岡大大濠高で野球をする決意を固めた。推薦入学の選手が多い中、一般入試で合格し入部。「野球で行けるレベルではなかったので、勉強するしかありませんでした」と苦笑する。
入部にあたって「3年生の夏までに、絶対レギュラーになる」と誓いを立てたことが、“練習の虫”の出発点だった。
約20分の自転車通学だったが、毎日チームの“朝練”が始まる午前7時半の約1時間前には学校に着き、バットを振った。午後8時頃にチーム練習が終われば、帰宅途中、自宅近くのバッティングセンターに寄って打ち込んだ。
入部当初85メートルに過ぎなかった遠投は、120メートルまで伸びた。これには、高校入学前に右肘を手術し、リハビリの一環としてトレーナーからボールの投げ方、スナップの効かせ方、体幹の使い方、それらをいかに連動させるかを教わったことが役立ったという。また、当初160センチ、55キロと線が細かった体を大きくするため、「親に頼んでご飯をタッパーに入れてもらい、常に空腹を感じないくらい、休憩時間に食べていました」。最終的に身長は174センチ、体重は20キロ増の75キロとなった。

「人と違うことをやらなければ上には行けない」
「どれだけ練習しても、なかなか結果は出ませんでした」と振り返るが、3年の夏を目前に控え、突然開花の時期を迎えた。「5、6月の練習試合で一気に10本近くホームランを打って、レギュラーになれました」。最後の夏の県大会は決勝で敗れ、甲子園出場はならなかったものの、入部時の目標を見事に実現した経験は、仲田に大きな自信をもたらした。
福岡大に進むと、目標も「次はプロになりたい」とレベルアップ。スイッチヒッター転向を決意した。「もともと小学生時代は右打ち、中学、高校は左で打っていましたが、プロになるには両打ちの方が、可能性があるかなと思いました」と説明する。
ソフトバンク入団は2021年育成ドラフト14位。支配下、育成を合わせて128人が指名された同年のドラフトで最後の指名選手だった。「スタートラインにさえ立てれば、自分は這い上がれると思っていました」と言い切れるのは、高校時代の成功体験があるからだろう。
3年目の昨年3月、ついに支配下登録を勝ち取った。ウエスタン・リーグでは打率.403、出塁率.466の猛打を振るい、1軍デビューも果たした。同年オフ、まさかの戦力外通告を受けたが、西武と育成選手として契約を結び、3月に支配下登録と開幕1軍をもぎ取った。驚異的な練習量は、今も変わらない。
人一倍の努力を支えているものは何だろう。仲田は「小学校高学年の時、イチローさん(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)の本を読んで、『人と違うことをやらなければ、上には行けない』という言葉が胸に残っています」と明かす。
「今も思うような打撃がなかなかできなかったりして、苦しいですが、高校時代と重なるものがあります。やり続けていれば結果は出せると信じています。自分が立てた目標は絶対達成したい、という気持ちはずっとあります」と表情を引き締める。何度も這い上がってきた男だから、心を折られることはきっとありえない。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)
