落合博満がまさかの謝罪「給料安すぎた」 非難された阪神からの移籍…驚いた一言

長嶋清幸氏、阪神コーチで2003年優勝もオフに中日移籍
勝負強い打撃で、広島などで活躍した長嶋清幸氏は現役引退後、1998年から優勝した2003年まで阪神コーチを務め、2004年から古巣でもある中日の1軍打撃兼外野守備走塁コーチになった。以前から親交があり、その年から中日監督に就任した落合博満氏に誘われて移籍した。「星野(仙一)さんからは『何やお前、落合のところに行くのか』って言われたけどね」。中日ではいきなりリーグ優勝を経験したが、その際のオレ流指揮官からの言葉も忘れられないという。
長嶋氏は星野阪神の1軍守備走塁コーチだった2003年、歓喜のリーグ優勝を味わった。しかし、ダイエーとの日本シリーズは3勝4敗で敗戦した。敵地・福岡ドームでの第1、第2戦を連敗したが、本拠地・甲子園での第3~第5戦を3連勝。先に王手をかけながら福岡ドームに戻っての第6、第7戦を連敗して日本一を逃した。結果的に第6戦で先発右腕・伊良部秀輝投手が3回途中、3失点でKOされてシリーズの流れを再び持っていかれたのも痛かった。
伊良部は第2戦で4回途中5失点で降板するなど、調子を落としていた。当時のダイエー打線は左腕投手に苦しんでいたとの見立てもあって「(第6戦先発が)伊良部と聞いて『監督、それはないでしょ』って俺は言ったよ。(他のコーチも)みんなが言っていた」と長嶋氏は話す。「そしたら星野さんが『すまん、悪い。俺の最後のわがままや』と(コーチ陣に)言ったんです」という。
「『俺は伊良部に救われた。この優勝も伊良部がおったからできたんや。お前らの気持ちはごもっともや。だけど、俺のわがままも聞いてくれ』って。そこまで言われたらもう誰も何も言われへんかった」。星野監督はこのシリーズ限りでの勇退を表明していた。伊良部先発による結果は裏目に出たが、情にも厚い闘将らしい起用だった。そんなシリーズを終え、阪神は岡田彰布監督体制に変わることになった。長嶋氏は「その時、星野さんに呼ばれた」という。

2004年は中日でリーグ制覇…2年連続優勝を経験
「『悪いけど、お前は岡田の(1軍)組閣には入っていない。でも2軍には残れるぞ、どうする』と聞かれた。ちょうど落合さんから連絡があった頃で『中日に行きます』と言ったら『何やお前、落合のところに行くのか』って。『とりあえず誘われたんで』と答えたら『でも、阪神には何の連絡もないんだぞ、そんな口約束で大丈夫なのか。もし(落合に)“ごめん、無理やった”と言われてもお前、何の仕事もないぞ』と言われたけど『そうなった時に考えます』と言ってね」
こうして長嶋氏は落合中日に移籍した。「岡田さんはあえて俺を2軍に置くつもりだったと思う。2軍で一緒にやったし、その方がいいと考えていたんだろうね。俺が中日に行くと聞いて怒ったらしいよ。『アイツは裏切りもんだ』とか言って。別に俺、裏切ったわけじゃなかったんだけどね」と笑いながら振り返ったが、中日コーチになって充実の日々が続いたという。「落合さんはすべての人の意見を聞ける人。すべてを受け止めてくれたんだよね」。
やりがいがあった。「その分、下手なことはできないけどね」。2004年の落合中日は1年目でいきなりリーグ優勝を果たした。「監督は何回も倒れていたよ。『ちょっとお前らでやっといて』って全然(表に)姿を見せず裏のトレーナー室のベッドや監督室で寝てたりとかね。やっぱり(監督として)初めてユニホームを着るとそういうもん。大変な仕事だと思うよ」。そんな中でつかんだ栄冠だった。日本シリーズは西武に3勝4敗で終わったが、それも次へのバネになった。
「優勝した時にね、落合さんに『ありがとう』って言われたんだよ。こんなうれしい言葉はなかったよね。それからね、『お前の給料、安すぎた、ごめん』って謝ってくれたんです。俺としては満足の給料だったし、なんで今さらそんなことを言うのかなと思ったら、3年契約しているのに、2年目にまた上げてくれたんだよ。普通だったら考えられないよね」。2003年星野阪神、2004年落合中日と2年連続優勝となった長嶋氏だが、またさらに気持ちが高ぶった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)