ドラ2入団も襲われた激痛「これはまずい」 医師もお手上げ…生じた“原因不明”の異変

西武などで活躍した鈴木哲氏【写真:編集部 】
西武などで活躍した鈴木哲氏【写真:編集部 】

元西武の鈴木哲氏を襲った肘痛

 慶大、社会人野球の「熊谷組」とエリート街道を進んだ鈴木哲氏は1989年のドラフトで西武から2位指名を受けて入団した。アマチュア時代は周囲のレベルの高さに驚いたことはなかったというが、常勝軍団だった西武では、それまで味わったことのなかった衝撃を受けた。

「キャンプ前の自主トレで所沢に行きましたけど、周りの選手を間近で見たときに、この人たちはすごいなと。もう、ピッチャーもバッターも、見た感じでオーラがすごかったんです。やっぱり違うんだな、本物だなと思いました。体つきからして大きいし、この人たちに勝っていかないといけないのか、と思ったことを覚えています」。大学でも社会人でも経験しなかった感覚。「この時初めて、自分の力でやっていけるのかな、ちゃんとやらなくちゃいけないな、と感じました。今までの野球人生とはちょっと違うなと」。

 即戦力として期待され、キャンプは1軍スタート。周囲に圧倒されつつも、必死について行く中で、癖を指摘された。「1軍では、癖があるから球種がバレると言われて、それまであまり気にしたことがなかったので、どうしようかなと。2軍に行くと抑えられるんですけどね。ただ、一度落ちると当時の西武は、なかなか上がってこられないんですよ。1軍が素晴らしいメンバーだったので」。

 癖だけではなく、別の異変も生じた。「肘を痛めたんです。これはちょっとまずいかな、と思うくらいの痛みでした」。癖の修正という課題に加えて肘痛に悩まされた1年目は、1軍では7試合の登板にとどまったが、防御率は2.83と力の片鱗を見せていた。そして2年目は20試合に登板し、そのうち14試合に先発するなど、才能を開花させる。ただ、肘は限界を超えつつあった。

引退後の手術で出てきた大量のねずみ

「2年目も肘は悪かったので、気にしながらやってはいました。前半戦はそこまでひどくなかったんですが、後半戦はかなり悪かったです。それでも1年間、なんとか投げられたので、オフの間にしっかり休んで、翌年は痛みが出なければさらに頑張れるかな、と思っていました」

 しかし、3年目にはさらに悪化した。「全然ダメだったので病院にも行きましたけど、原因がわからないと言われることばかりでした。今から何十年も前ですから、スポーツ医療もまだまだ発展途上だったと思います。MRIが日本に入ってきたくらいの時代で、MRIという機械はあっても、その画像をしっかり見られる医師も多くなかったようです」。1軍登板は3年目が4試合(2先発)、4年目が救援のみの5試合。4年目が終了した1993年のオフ、広島へのトレードとなった。

 現代とは違い、医療が進んでいない時代。手術して失敗する人も多かった。「うまく付き合っていくか、覚悟してメスを入れるか、でしたね。手術を勧める人もいたんですけど、切ったらダメなんじゃないかというイメージも強かったです」。その上で、痛めたことも含めて実力。「痛めたのは結局、投げ方が良くなかったということ。今のようにネットで画像を見られるわけではなかったし、全部自己流でしたから。でも当時でも、たくさん投げても、痛めない人もいましたからね」。

 現役時代は踏み切れなかった肘の手術。実は約5年前に、手術をしていた。「あまりに痛くて荷物も持てなかったんですよ。ねずみ(遊離軟骨)がたくさん出てきました。これは痛いわけだな、と」。そして右手を右肩につけて見せ、「30年ぶりに手が肩につくようになりました」と言って笑った。

(伊村弘真 / Hiromasa Imura)

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