窃盗事件は「根も葉もない」 監督謝罪…“濡れ衣”で去った中日「警察が来るっちゅうに」

長嶋清幸氏、3年間で2度優勝も中日コーチ退任
2004年から落合博満監督率いる中日でコーチを務めた長嶋清幸氏は2006年限りで退団した。リーグ優勝を果たし、1勝4敗で終わった日本ハムとの日本シリーズ終了後に球団から契約を更新しないことを通告された。3年契約満了が理由だったが、それは表向き。「まぁ、いろいろなことがあったんですよ」。腑に落ちない部分に当時は怒りの感情も高ぶったが、それは後に“雪解け”となった。「落合さんが俺に『すまなかった』って言ってくれたのよ」と話した。
長嶋氏は2004年からスタートの落合中日で1、2年目は打撃兼外野守備走塁コーチ、3年目は作戦兼外野守備走塁コーチとしてチームを支えた。1年目優勝、2年目2位、3年目優勝。日本シリーズこそ2004年は西武に、2006年は日本ハムに敗れたものの、ドラゴンズ強化に貢献した1人といっていい。だが、3年目の日本シリーズ終了後に待っていたのは“3年契約満了につき、契約は更新しない”というものだった。
「契約社会だから、そこで終わりだよと言われれば『はい、わかりました』しか言えないけど、他の人はほとんどクビになっていないわけじゃん」。何がいけなかったのか。長嶋氏は落合監督に電話で「今後のために理由を聞かせてほしい」と言ったところ、返ってきた答えは「スマン、それは言えない。墓場まで持っていく。お前には感謝している」。納得がいかなかった。球団了承のもと退団会見で不満をぶちまける事態にもなった。
この件に関して長嶋氏はこう振り返る。「監督と俺に何かあったんじゃなくて、監督との仲を終わらせようとした人がいたんですよ。あること、ないこと、いろんなことをね。そんな話になっちゃっていたんですよ」。それが落合監督の耳にも届いていたらしい。「陰で、俺が監督の悪口を言っているような感じのことがね……。落合さんはそういうのが一番嫌い。陰で言われるのが一番嫌いだからね」。
長嶋氏は落合監督と現役時代からの付き合い。コーチ就任後も言いたいことがあれば、ズバズバ言ってきたという。もちろん、それで関係がこじれることはない。むしろ深まっていった。「落合さんは俺みたいに面と向かって言う人が好きだったと思うよ」。仲がよすぎたことが、妬みを呼んでしまったということか。「まぁ、そういう人からしたら、俺みたいな性格のヤツは目の上のたんこぶだったんだろうね」。
退団から7年、落合GMが謝罪「お前には悪いことをした」
2006年9月20日、横浜スタジアムでの横浜-中日戦の試合中に落合監督愛用のセカンドバッグがなくなった。信子夫人からプレゼントされたもので、中には現金や大切なお守りなどが入っていた。この事件でも長嶋氏は全く関係ないにもかかわらず、知らないうちに疑われていた。「だから、そういうのもさぁ、関係しているんじゃないかって言う人がいたわけよ。根も葉もないことをね。時代劇のドラマじゃないけどさ、いたのよ、そういう人が……」。
落合監督の「墓場まで」発言はそれにもつながっていたようだ。「そういうことですよ。だいたいね、俺がもし、それに関わっていたら警察が来るっちゅうに。他のコーチは何人か、指紋をとられていたけど、俺は指紋もとられていない。俺なんか選手のロッカーだから(横浜スタジアムの)監督室なんて1回も入ったことがなかったからね」。長嶋氏は何とも苦々しい思いで中日を去ったが、2013年オフ、再び中日のコーチになる時に、それも“雪解け”したという。
落合GM、谷繁元信監督兼捕手、森繁和ヘッドコーチ体制の中日で長嶋氏は外野守備走塁打撃コーチに就任した。「要するに、落合さんも全部ネタがわかったってことですよ。やっぱり悪いことをしたらバレるじゃん。あの時ね、落合さんは俺に『お前には悪いことをした。ホントすまなかった』って頭を下げたのよ。俺ね、こんな人、いないぞって思った。(中日に)戻してくれたことが俺を理解してくれたってことだから、そこまでしなくてもいいのにってね」。
やるせない時期がその言葉で、すべて過去になった。「そういうふうになるとさ、またこの人のために頑張ろうって気になるんだって」。残念ながら落合GM、谷繁監督&森監督の下での2度目の中日コーチ時代のチーム成績はすべてBクラス。前回コーチ時のような結果は出なかったが、力は尽くした。長嶋氏の野球人生において、3冠オレ流プレーヤーであり、優勝請負人のオレ流指揮官でもあった落合から学んだことは数多い。その出会いは、やはり大きなものだった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)