元最多勝投手が「うぉー原辰徳だ」 抜けない“ファン心理”…Gキラー襲名に「ちょっといい気」

川崎憲次郎氏は高卒1年目の5月に救援でプロ初登板した
1988年ドラフト1位でヤクルトに入団した川崎憲次郎氏は、高卒1年目から23試合に登板して、9月だけで4勝を挙げ“巨人キラー”と呼ばれるようになる。しかしプロ生活のスタートは「レベルを知らなかったので、衝撃はすごかった」というものだった。8月には8回まで毎回の11三振を奪いながらプロ初勝利が“幻”となったこともあった。
野球を始めたときから地元では名の知れた存在で、大分・津久見高では甲子園に出場して「大会No.1投手」と呼ばれた。ドラフト会議で巨人との競合の末にヤクルトへ。「入る前は自信を持っていた」というプロの舞台で、先輩たちを前に恐れおののいた。「甲子園に出ていたと言っても所詮高校生レベル。プロはもちろん、大学も社会人の野球も実際のレベルを知らなかった。キャンプのオープン戦で、コーチから『見ておけ』と言われて初めて見たときに、体つきも違うしこれはすげぇと。衝撃はすごかったですね」。
とはいえ、有望な右腕は開幕1軍入りを果たした。しかしドラフト2位の岡幸俊投手が開幕戦でプロ初登板したのに対し、自身の出番は一向にやってこない。「同期が投げて、なんでだという悔しさはありました。ただ右も左もわからないので言われた通りにするしかない。(1軍登録中にファームの試合に出場する)親子ゲームとかもあったし準備はしていて、早く投げたいなと」と願い続けて1か月。5月9日の阪神戦でついに名前を呼ばれた。
「5回1死一、三塁で、打者は和田豊さん。初登板がなんちゅうシュチュエーションっていう。でも『よし、来た』と喜びの方が強かったですね」。和田氏を3球三振、痛快なデビューマウンドだった。5月下旬にはプロ初先発。順調に階段を上がった。
プロ初勝利、初完投初完封で“巨人キラー”襲名「ちょっといい気に」
川崎氏のプロ初勝利は、9月2日の巨人戦と記録されている。しかし8月13日には悲運により白星が吹き飛んだ“事件”があった。広島市民球場での広島戦。先発した川崎氏は8回まで毎回の11三振を奪い、3失点と好投を見せていた。同点の9回に味方打線が奮起して2点を勝ち越し、なおもチャンスが続いていた。そんなとき、突如降り出したスコールにより3-3の8回降雨コールドに。「めちゃくちゃ調子がよかったのに、急にバシャーって来て。この敵には勝てないけど、このまま行けば初勝利だと思ったのが幻だよ。笑い飛ばすしかないよね」と振り返った。
ようやく掴んだ初勝利直後の9月24日、巨人戦でプロ初完投初完封をマーク。新聞には“巨人キラー”という文字が踊り始めた。物心ついたときから大の巨人ファンだっただけに、「あの巨人を。ちょっといい気になりましたね。まだファン心理が抜けないですから」というのも当然だろう。部屋中にポスターを貼り、写真集も持っていた原辰徳氏を初めて18.44メートル先に迎えた際に思ったのは「うぉー原辰徳だ!」だった。
ある日の練習中、原氏から「川崎」と呼びかけられた日のことは忘れられない。用件は「尾花を呼んできてくれ」だったが、「憧れの的でスーパースターだった原辰徳さんが名指しで声をかけてくれた。1年目で名前なんて覚えられていないのが普通。『はいっ!!』って声裏返りながら返事して、すぐに(尾花氏を)探しに行ったよ」。若き日の興奮を思い出し、懐かしそうに笑った。
(町田利衣 / Rie Machida)