「もう終わり」消えた腕の感覚…投げられぬ短い距離 元虎戦士が覚悟した“選手生命”

現役時代の元阪神・狩野恵輔氏【写真提供:産経新聞社】
現役時代の元阪神・狩野恵輔氏【写真提供:産経新聞社】

元阪神・狩野恵輔氏、9年目に陥った送球イップス

 元阪神捕手の狩野恵輔氏(野球評論家)はプロ9年目の2009年にレギュラーの座を獲得した。開幕からマスクをかぶり、127試合に出場。規定打席にはわずかに及ばなかったものの打率.262、5本塁打、35打点、10盗塁の成績を残した。しかしながら「バッティングはよかった年ですけど、守りは……」と渋い表情で当時を思い起こす。「あの年のキャンプでイップスになったんですよ」。日々、大変な思いだったという。

 狩野氏は背番号を「99」にした2007年にプロ初安打がサヨナラ打(4月20日の巨人戦、甲子園)になるなど、54試合、打率.274、3本塁打、11打点の成績を残したが、2008年は右肘手術で出遅れ、12試合の出場にとどまった。1軍が真弓明信監督体制になった2009年はもう一度やり直しのシーズンだった。しかし「この年も肘がおかしいという感じでした」と万全ではなかった。その上に重くのしかかってきたのが短い距離の送球問題だ。

「キャンプの紅白戦で一塁にランナーが出たから、パッと投げようとしたら、ファーストが見ていなかったんですよ、僕のピックオフを。でも止められなくて、引っ掛けたらライト前に転がっていった。『狩野! 何しているんだ!』ってヤジが飛んで、僕からしたらファーストが見てないやん、なんだけど、誰もそんなことに気付かない。“最悪”って思っていたら……」。それをきっかけに、普通にできていたことができなくなったという。

「今でも覚えています。ピッチャーに投げ返そうと思った球が、セカンドベースくらいまでいったんですよ。投げたら、フワッて、もう感覚がないみたいな。あ、やばい、これイップスやって。隠そうと思ったんですけど、もうピッチャーに返すのが怖くなっちゃって……。全然駄目で、もう投げられない、打てないで、ファームに行けって言われて。正直、もう終わりやなと思った。開幕とか無理だし、野球人生がどうなるかわからないって気持ちでした」

 2軍キャンプでも状況は変わらなかった。「こうやって投げろ、ああやって投げろとかいろいろ教えてもらってやるんですけど、治らないですよ。イップスって治るもんじゃないから」。阪神は、矢野輝弘捕手が2008年オフに右肘を手術し、2009年の開幕に間に合わない正捕手不在の状況だったが、どうすることもできずにいた。「開幕は(プロ5年目の)岡崎(太一捕手)で行くんじゃないかって話になっていて、僕も“そりゃあそうだろな”って思っていました」。

 それが一転した。「岡崎の成績がちょっと落ちてきたんですよ。それで僕の名前が出たそうです」。1軍首脳陣の間で「こうなったら一発、狩野で行ってみたらどうだろう。イップスだけど、アイツは実直にやるから、ワンバンは止めるし、バッティングの方も打てるし……」との話が浮上して、オープン戦中に1軍再昇格。「呼ばれて、僕も試合で打ったんですよ。ポンポンって」。そこから話はドンドン進展していった。

「開幕投手の安藤(優也)さんとも話をした。イップスはあるけど盗塁を刺せないことはない。ピッチャーに返すのは不安だけど『それはいいじゃん』って。『どうにかなるからいくぞ』って。(首脳陣からも)『開幕から(捕手は)お前で行くぞ』って言われたんです。僕からしたらパニックでした。イップスだし、そんなに(オープン戦の)成績もよくなかったんです。でも、キャッチャーがいない。何を取るかといったらバッティングということで、そうなったんです」

無我夢中でレギュラーの役割…規定打席に14打席届かず

 2009年4月3日のヤクルト戦(京セラドーム)で狩野氏は「7番・捕手」で初の開幕スタメン。フル出場して試合は5-2で勝利した。打っては3打数1安打、守っては先発・安藤→ジェフ・ウィリアムス→抑え・藤川球児への3投手リレーを盛り立てた。その後も必死にレギュラー捕手の役割を果たした。バットも好調で4月は打率.320。「とにかく打って貢献しないといけないという気持ちだった」と話す。

 6月終了時点で打率.288、3本塁打、15打点。首脳陣の評価も高く、7月中旬に矢野が1軍に復帰してからも、7月は22試合中、15試合、8月は26試合中、17試合、9月は27試合中、19試合にスタメンで起用された。9月27日の中日戦(ナゴヤドーム)では中日・山本昌投手から5号満塁アーチも放った。

「その試合は(中日外野手の)井上一樹さんの引退試合だったんですよ。すみませんと思いながら、こっちも必死なんで。満塁ホームランはもちろん、うれしかったんですけど、この年は日々、チームのためにやるしかないと思うばかり。ミスしないようにとか、そういうことばかり考えていました」。規定打席には、わずか14打席足りなかったものの、シーズン103安打をマークした。

 だが、イップスによって「エラーが(12で)ムチャクチャ多かったです。送球エラーばかり。近場で投げられないんです。バント処理のファースト(送球)が嫌だった」と明かす。「毎日、ピッチャーに返すのも嫌でした。何回かはゴロで投げています。でもね、キャッチャーのイップスって結構プロでは多いんですよ。治らないんで、ずっと抱えたままなんですが、それをうまくごまかせるようにもなるんです」。

 狩野氏もイップスと闘いつつ「じゃあ、自分は何ができるのかとなったときにワンバン(捕球)の練習はメチャクチャしました。あと配球もいろいろ考えました」という。自身の弱味を認めた上で、それを補って貢献できることに取り組んだ。苦しみながらも、そうやって1日、1日をクリアしていき、ついに1シーズンを“完走”したわけだ。

「バッティングに関してはよかった年ですよね。こうやって打っていけばいいんだなっていう感じで、1軍にも慣れてきたなぁみたいな」と狩野氏は振り返る。この年のオフにマリナーズを退団した城島健司捕手が阪神に加入したこともあって、レギュラー捕手の座は、この2009年の1シーズンだけだったが、まさに無我夢中で過ごした日々、大変な思いもした日々もまた、自身にとっての大きな財産になっている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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