1度諦めたプロ入り「やっぱ無理かな」 スーツ着て就活も…会社辞めて選んだ茨の道

西武7位の古賀輝希はクラブチームからプロ入り
クラブチームからNPB入りを掴んだルーキーが、1軍デビューを目指し汗を流している。西武の古賀輝希内野手は昨秋のドラフト7位で入団した24歳。佐賀商業高では夏の甲子園に出場し、日本経済大に進学したが、怪我で手術を経験し、一時は野球を諦め就職活動をしていた。
順調だった野球人生が一転したのは、大学2年生の時だった。「プレー中ではなく、寝返りを打った時に右肩を脱臼しました。めちゃくちゃ痛くて、今までの人生で一番痛いくらいでした。病院に行って肩をはめてもらって、すぐ手術だと言われました」。術後から1年半は野球をすることができず、リハビリ生活。プロを目指していたが、その夢を諦め就職を考えるようになった。
「練習には行っていたんですけど『やっぱり無理かな』と思って、地元で就職することを考えました。スーツを着て企業の合同説明会に行きましたが『何か違うな』と思いました。子どもの頃から、自分の夢はプロ野球選手になることだった。人生1度きり。後悔したくないと思いました」
万全な状態でプレーができず、社会人野球チームに入団はできなかった。野球部のコーチの紹介で、千曲川硬式野球クラブに加入。午前7時半から午後4時半まで、生コンクリートの会社で働き、終業後の午後5時から午後10時まで練習する日々が続いた。
「搬入前のコンクリートの硬さが決まった数値になっているか、品質を確認する仕事をしていました。仕事で疲れてしまって、毎日しんどかったです。土日は1日中練習で、休みもなかった。でも、自分の中で2年と決めていたので、なんとか頑張ることができました」
2年目に野球に専念するため退社「勝負をかけるならここ」
初めての自炊にも苦労した。レシピをインターネットで調べ、肉野菜炒めが得意料理になった。翌日の昼食用に多めに作り、タッパーに詰めて職場にも持参した。夜遅くまで練習したが、会社に遅刻したことは一度もない。仕事にも野球にも真摯に取り組み、NPBの3軍との練習試合で本塁打を放つなどアピールを続けていると、やがてスカウトが試合を見に来るようになった。2年目の6月には野球に専念するため、会社を辞める決断をした。
「不安はありましたけど、スカウトの方に見に来ていただけるようになって『勝負をかけるならここだな』と思いました。家族も職場の人も『自分の夢なんだから頑張って欲しい』と背中を押してくれました。チームが使っている場所を提供してもらい、仕事が休みの選手が相手になってくれて1日中練習しました」
その甲斐もあり、ドラフトで西武から7位指名を受け、千曲川硬式野球クラブから初のプロ野球選手となった。まだ1軍出場はないが、野球に打ち込める環境で日々鍛錬を積んでいる。
「打っている選手を見ていると、コンタクト能力があるなと思います。自分は三振が多いのが課題です。甘い球を一発で仕留められるようにしたいです。2軍で3割以上打って 1 軍で活躍したい。調子の波を少なくして、息の長い選手になりたいです」
1度は諦めかけたが、強い意志で掴み取ったプロの世界。プロ野球人生はまだ始まったばかり。ここから、その道を切り開いていく。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)